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moon shine / sun shine
家族編第4話
 食卓には父と子の二人だけ。離婚したばかりのころはこげているか生焼けだった焼き魚は、程よい焼き加減になっている。それだけの時間が過ぎていた。
 そろそろセンター試験と言うこともあって、父は父なりに気にしているのか、変なことをいわないように気をつけているようだった。結果、静かな食卓がここ一週間ほど続いていた。
「楓、調子はどうだ?」
「うん、まぁまぁだよ。国語と英語、ここまで懸命に勉強したのは久しぶりだけど」
「ならよかった。大樹のところの陽ちゃんや光くんとは、あってるかい?」
「あってるもなにも、光は高校が一緒だし、陽はレッスン行くたびにあの教室にいるよ」
 レッスンは週三日。ついでに陽には、英語と国語のわからないところも教わっている。愚痴を聞きながらであるため、進度は遅い。ギブアンドテイクが成り立っているようなものだと思う。
 進学校に通っているだけあってレベルは高く、解き方は参考になることが多い。文句があるとすれば、教え方について大分ずさんなところか。
「そうか、うん、……」
 陽が、両親の離婚で別れた姉・李花と同じ学校に通っていることは、父も知っている。といっても、食卓を含めた日常会話の中、姉の話はまったくしない。父が父なりに思うところあってのことだとは思う。ただ傍から見れば、それは余計なことなんじゃないかと思うところばかりで、無駄なことをよくもまぁねちねちと考えられるものだと思う。
「うん、そう、で……」
 この父は陽いわくトロイそうだ。たしかに重要な話であるほど話の本題に入るのは遅い。息子である俺が言うのもなんだが、会社での昇進も遅い。まじめで堅実な性格の反面、石橋を叩きすぎるふしがあるのだ。ついでに世辞に弱く、世辞を言うのが下手。
 電話を自主的にかけるにしても、電話機の前で一時間ぐらいうなっていることが間々ある。話し合い手が誰とは聞いたことはないが、きっと俺の想像が当たっているだろう。
 今もためらいながら、懸命にこっちの反応をうかがっている。
「なに? だいじょうぶだよ、受験前に何があったって、動揺する人間じゃない」
 安心したらしい。この優柔不断とも言える父との二人暮しは、慣れればなれるほどこっちが気を遣って仕方がない。あからさまに胸をなでおろした姿が目の前にある。
「そうか? あの、な。別にこう、すぐに何があるってワケじゃないんだが……」
 やっと本題。
 夕食が始まってから三十分ほど経っている。過去の実績を鑑みれば、だいぶ健闘したほうだろう、内心拍手喝さいだ。
「母さんや李花と、あう気はあるかい? きちんと場を設けて」
「……もう一度言ってくれる?」
 母さんはわかる。李花と言うのは別れた姉の名前だ。それはわかる。わかるが。
「……」
 父は黙ってしまった。
 なんてことだ。
 時期が云々なんてものじゃなくって。――えっと。

 須王楓、人生初。先の展開が読めない。



 音楽大学附属高校。俺はそこに籍を置く。
 一月になれば大学受験のために自由登校、なんてことはなく、普通に授業がある。二月も授業はあり、学年末試験もきちんとある。皆勤を狙う受験生としてはありがたくないが、それが附属の醍醐味と言うやつかもしれない。もっとも、附属音大に進学する生徒は全体の三割程度だ。
 一月にはいると、クラスメイトの数はわずかに減少した。それでもうちのクラスはまだもっているほうで、半減以上のところもあるようだ。
「須王はよー」
 やたらさわやかに挨拶してきた男の名を、西尾光と言う。
 秋から冬にかけてあった附属大学内部進学試験の前後は、これでもかというぐらいに沈んでいた男は今、入学許可書と言う黄金の最中をゲットし、至上の楽園を満喫している。俺の精神被害は知れたものだが、彼の姉・西尾陽になると悲惨である。かわいさ余ってにくさ百倍のその愚痴には、しかし、若干複雑な乙女心めいた葛藤を見せる。
 ただひとついえることとして、幸せ真っ只中の男につける薬はない。
「今日なー、父さんが帰ってくるんだ」
「大樹さんが?」
「ああ。俺んち来るか?」
 光の父親である西尾大樹は、俺の敬愛するヴァイオリニストの一人だ。演奏家でもあり、作曲家でもある。地方や海外にいることが多いため会う機会は少なく、もちろんあいたくないといえばうそになる――がしかし。今西尾家に行けば、確実に光の入学許可書と御対面である。それが精神的にどう来るか……
 だがしかし。
「……い、い……くぁ」
 ない、とは言いたくないが。
「来るか?」
「ああ」
 うあああ、言った、いった俺!!
 くびしめてるかなー。くそう。誰かこの幸せな男に忠言して欲しい。お前は恨みを買っていると。


 かくして夕方、俺は西尾家にいた。食卓にお邪魔しながら大樹さんに会い、受験がんばってと応援されればそれだけで望むものなどない。来てよかった自分。日々陽の精神を食っているかもしれない光の許可書は、食器棚の上に掲げてあった。よほどうれしいのだろう。神棚にないだけマシだと思う。
「じゃぁ俺はそろそろ……」
「そうね、長居させちゃ勉強に差し支えちゃうわね。ちょっとまってて、さっき作ったピラフ、夜食にでもどうぞ」
「いえ、おかまいなく」
「須王、一緒に勉強しようか?」
 おおっとぉ、来たぞ来たぞ。
「いや、陽の勉強の邪魔になるのは困るから」
 お前の愚痴を聞きたくはない。
「そんなことないよ、お互いセンター近いんだし、ね?」
 センター前にすっきりさせてくれって言うお前の魂胆は丸見えだ。
「陽は科目数が違うだろ?」
 俺は二科目だが、陽は七科目もある。
「平気、平気」
 相当愚痴をこぼしたいんだろう。引き下がるような姿勢はミジンコアリ一匹ほどもなく、これでもかと言うほど食らいつき、おばさんもどうしたらいいのか、と言った体だ。
 そういえば、俺も事件があったんだ。すっかり忘れていたが、正直、今父さんにあうと、なんともいえない視線で凝視されての一日になるだろう。快いとは言いがたい。
「須王君、なんだったら泊まっても平気なのよ?」
 誘惑きついなぁ、この家。
 朝も思い出すとやたら憂鬱だった。
 いっそ甘えてみてもいいんだろうか。受験生二人となれば、気遣いもあるかもしれない。
「じゃぁ、お言葉に甘えて……」
「やった!」
 一番喜んでいる様子の陽。尊敬する家主を見れば、その口元には笑みがある。がんばれる、自分。
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