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双子編第3話
「ただいまー」
「お、おかえりー」
玄関のドアが閉まると、陽は一目散に二階にある自分の部屋へと階段を駆け上がる。陽の通う学校のスカートは、一瞬油断すれば翌日悲惨なことになる、プリーツの多いスカートだった。夏用の薄い素材はしわもつきやすく、陽は高校にはいってから、制服で家をうろつく時間は朝しかない。
八月でも、進学校に通う陽は、何かにつけて授業だなんだといって学校に出かける。今日はそのあとレッスンに直行したのだが。光の学校も夏休み中は防音設備が整った学校で練習したい生徒のために開放しているが、ここ西尾家には防音が整った練習室が二部屋あり、学校を使わずとも思いっきり練習できるのだ。
膝丈のスウェットにTシャツ、その上にジャージの上を着て、長い髪を結わいて台所に顔を出した陽は、まな板に乗った豆腐を見て本日のメニューを直感した。
「今日は湯豆腐? ホント、最近寒いよね。夏なのに。困っちゃう」
「そのジャージ、生地が燃えやすいんだから、コンロに近付くなっ」
「はぁ〜い」
陽は言葉を返すと、リビングのテレビをつけ、チャンネルをかちゃかちゃと回した。光はまな板の上の豆腐を半分鍋に入れ、コンロからリビングのほうへと動かした。
「少し待てよ」
台所から器と箸、かつおぶしと醤油を光が持ってくると、陽は待ちかねたように鍋ぶたをあけ、蒸気に鼻孔をくすぐらせる。豆腐の他に、きのこ、白菜が入っている。
「昆布、良い具合に出てるね」
陽は豆腐にかつおぶしをかけ、醤油をかけて食べる。一方光は豆腐に醤油をかけてからかつおぶしをまぶして食べる。順序が逆なのは、それぞれの食べ方が母親風、父親風であるためだ。
「陽、そっちはどう?」
「……受験、のこと? 推薦はやめて、一般に絞っちゃった。指定校推薦もいいところがないし――光は?」
「ん、附属の音大にいけそう、かな。無理して他の音大受けようにも、受ける理由がないし」
光の通っている高校は音大附属の音楽科だ。音大附属でも、内部推薦でそのまま音大に進める数には限りがあり、学年の三分の二以上は他の音大に進むことになる。附属、と言ってもそのまま音大に進むのは難しいのだ。
「がんばってね。応援してるから! ――で、あの、今度の定期……」
「帰ったぞーっ」
玄関のほうでした声を二人が聞いたのは実に三週間ぶりだった。二人――特に光――は、湯豆腐をそのままに玄関へかけ、久しぶりに父親の顔を見た。父親は陽に持っていたカバンを預けると、光の頭をくしゃりとなで、ただいま、と微笑んだ。
「遊恵は?」
感動のあまり抱きついた光は耳が聞こえず、陽が笑いながらまだ教室、と答える。ファザコン故、といえばそれまでだが、光が父親の帰宅でこうも喜ぶのは、西尾家にとって異常な事態ではない。むしろ正常とも言える。光のピアノの心の師は、何を隠そう彼なのだから。
三人でリビングに向かいながら、そして、リビングで湯豆腐を囲みながら、父親と空白の三週間を話し合う。母親からしてみればフライングだが、いない彼女が悪い……と、父親の隣でホクホク顔の光が、湯豆腐を食べながら心の底で思う。
「今回、国内だったのに随分長かったね? 一週間の予定じゃ、なかったっけ……?」
「ああ、あっちの空気が乾燥していて、音もきれいに澄んでいたから、つい長居してしまってね。二つほどできたよ……陽の、今度の曲だ」
父親の本業は作曲家。ヴァイオリニストとしてもいけるほどヴァイオリンはできるが、ピアノは実は、作曲のときに不便にならない程度にしか弾けない。光にとっての至福のときは、そんな父が考えてつくったピアノ曲を一番最初に彼が弾いているときだった。
「……俺のは?」
「光はまた、な。それにしてもお前、料理の腕上がったなぁ」
「湯豆腐で、『上がった』も何もないよ、父さん……」
「いや、このだしは……」
「ひっど――――――――――!!」
家族三人の団欒に突然、影が入り込んだ。きゃんきゃんとイヌのように叫びながら、陽の隣り、父親の隣に座ったのは、普段この家を切り盛りする母――遊恵だ。
「なんでみんなしてっ、みんなしてぇ……!!」
陽が遊恵の分をよそりながらも、遊恵はテーブルに泣き伏せ、叫んだ。今日似た光景をどこかで見たな、と思う光はまだ冷静で、陽は慣れたことのように淡々としながら、肩を震わせて笑っている。一番人情溢れたのは夫でもある大樹の行動で、だからこの家族は成り立っているのかも知れない。
「ほらほら、遊恵さん、せっかく温かいのに、冷めちゃうから」
「あなただけよ大樹さん! 二人の子供は、せっかくイイ顔に生んだのに……私のかわいい子供達を返してぇ!」
こうなってくるとそっくりというより同一人物と思わざるを得ない。西尾家はにぎやかね、といわれる原因はココだ。母の「きゃんきゃん」も度が過ぎると父親からの鉄槌が下されるが、そうしないとおさまらないため、仕方なくやることで……まぁ結局のところ、万年円満夫婦を筆頭に結局、どこかでだれかが折れて、円満なのだ、この家族は。
一番折れるのは男二人で、大概勝つのは女だというあたり、どこか虚しさを感じさせるが。
「陽、お前と母さんってホンット似てるよな」
「光、豆腐の角に頭をぶつけないようにね?」
頭の回転が男と女では、全く違うのだ。
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