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明るくなる方法
番外編 第9話
 あの日から、三ヶ月たった。夏休み、人生で初めての夏期講習を受けている。
 両親とは和解したものの、まだ少しだけぎこちない。けれども、あたしの受験が終わったら、家族旅行に出かけようって言う話ができる程度には、快復している。母屋で暮らすのはなんだか気恥ずかしさが先行していて、実行される気配はない。少なくとも、中学にいる間はずっと、あの離れで志摩さんと二人暮らしをする予定だ。その方が気楽だし。
 李花には逃げてしまったことを正直に謝って、すぐに水に流された。なーんもなかったような顔で翌日からまた昼飯を一緒に食べているのだから、女同士というのは存外あっさりしたものかも知れない。
 冴島には、なんとなく謝っておいた。あたしなりに思うところがあって、謝罪したんだけど、すぐに突き返された。理由がはっきり言えないならするな、と、あいつらしい言葉なのか。
 まぁほかにも方々まわって、謝罪したり縁切ったり。別れることでしかどうしようもならないこともあって、この年になって世知辛いなんて、遅すぎる? 早すぎる?
「いやいや、それははやいでしょう」
「そう?」
 高崎健太郎との付き合いは変わらずで。いやむしろ、親し……いやいやいやいやいや。
 志望校が宮脇だから! 現役生に勉強教わっているだけだから!
 一応、こいつにもあやまりまった。勝手に逃げてごめんなさい、と。そしたら翌週またあいましょうとか決めてなんかもう、ズルズル? 行きずり? は、語弊があるな。
 はっきりした言葉はない。期待はしていない。便利だと思う。たぶんそんな関係が続くと思う。
「で、聞いてます? この因数分解のあとさらに、xyをAに置き換えて、」
「あ、そっか!」
 教え方がうまくて助かる。そのかわり昼飯をおごれとたかるが、三百八十円のセットでも文句を言わず教えてくれるのだから、心の広いいいやつだと思う。
「もう十四時か。今日、予備校は?」
「ナシ。受験生じゃないですから、毎日のように授業はありません」
「よし! じゃぁ次はこの文章題で……」
 まぁこんな関係だ。一応やつにも都合があるから、何かあればそっち優先。予備校とか、学校行事とか。学校でも夏期講習のようなものがあるらしく、宮脇はここらで有名な進学校だ。
 それでも、学校行事に手を抜く訳じゃない。あのあと何度か学校見学をこっそりして、部活の方をのぞいてみると、早くから文化祭の準備をしていたり、夜遅くまで大会に向けての練習だったりをしていた。いくつかの部活はインターハイ出場経験があるらしく、県大会優勝のトロフィーがいくつもあった。
「でも今の真理なら、宮脇にしなければ、入れる高校はいくらでもあるでしょう?」
「まーな! 学年三十位に入ったからな! まだまだあがるぜっ」
 一学期の期末、あたしは学年最下位から九十番上げて三十位までのしあがった。まぁ、今までがひどすぎたんだけど。さすがに仰天した教師たちがいろいろと疑って調べたらしいし、不名誉にもテストをもう一度受けさせられたが、以前よりもいい点をはじき出して黙らせることに成功した。
「でも、後輩も入りたいって言ってる学校だし。たのしそうじゃん、宮脇」
「うちの学校をつかまえて、楽しそうという真理がホントに奇特デスヨ」
「そうか?」
 大きくうなずく。
 この手の話題はすでに何度かあって、そのたびに、勉強ばっかで楽しくないよ? と釘を刺される。最初はそれでためらったけれど、勉強というものは案外、わかれば楽しい瞬間がある。新しい単元が登場すれば失われてしまう、わずかで短い瞬間だが。
 でもその新しい単元でもそんな瞬間に出会えれば、楽しいと思えるのだ。わずかでも。
 というのは高崎健太郎の受け売りで、実際に楽しい瞬間に出会えたのは片手で数えるほどだ。
「宮脇受験するのやめろって、言わなくなったな?」
「そういったって、やめる気ありませんよね? アナタ」
「もちろんっ」
 文章題を読み終えたらしく、解説に入る。あたしに図を書かせて、図解。あっとあたしがひらめいたところで、解説を止める。
「あれー? 高崎?」
「吉原か」
 高校の同級生らしい。こっちは予備校帰りらしいクリアケースを抱えて、テーブルに近づいてきた。
「おおっ、迫力のショートカット美少女。近所の子?」
 そう、あの日から数日たって髪をおかっぱ程度にばっさりと切ったら、なぜか外見年齢が一気にぐっと下がった。はじめて小学生と間違えられた日には一日中落ち込んだ。おかっぱが悪かったと思ってショートにしたのに、少しも幼さがぬぐえない。
 しかたなしに、なるべく服装が小学生にならないよう気をつけている。それでもがんばって中一評価なんだから報われない努力の差はなんだと思う。
「ほらほら、怒ってる怒ってる。彼女は中三ですよ」
「あっマジ!? ごめんごめん。で、高崎の、なに?」
 くっ、いままであたしがさんざん「こんな関係」と言い続けたところを直球で聞くのかこの男!
 高崎はちらりとあたしをみた。なんだか覚えがある、この視線。
「彼女ですよ」

 ぶっ

「おおー。もてるのにそういう噂聞かないなと思ったら外か! それも中三! なに、部活の後輩かなにか?」
「ん、デート中だからインタビューは控えてね。バイバイ」
「おう、学校でな!」
 陽気に手を振って、男が去っていく。
「ねぇ、今の」
「吉原浩樹。高一から同じクラスで、同じ予備校。受けてる授業が違うけどね」
「いやいやいや、そんなんじゃなくて」
 絶対すっとぼけてる。この顔は、見覚えありますよあたし。
 運動着着て。はっはっはーって、アメリカンナイズドされた笑い方すれば絶対思い出す自信あるって言うか今思い出した。
 そんなふうにわらって、あたしの名前を聞き出したんだコイツは。
「じゃぁ、どこです?」
「〜〜〜〜〜〜っ」
 えっ、なにこれ羞恥プレイ!? 話題にする→肯定もしくは否定→????
 想像の限界ですあたし。なに、なに、なにすればいい。
 ちょーっと状況整理しようか。あたしはいま、文章題を解いていて、ひらめいて、男が話しかけてきて。その男に、この男が、あたしを、――彼女って。
「んー? 聞こえませんよー?」
「んの、てめぇ……」
「これで、無理に質問考える必要なくなるでしょ? 気兼ねしてお昼おごる必要もないよ。だって、彼氏ですから」
 それじゃただの便利なヤツじゃないか?
「そのかわり、なにかあったらすぐ話してね。真理のことは何でも、一番に知りたい」
「正直、リターンはない、と、思うぞ?」
「彼氏彼女の関係は、お互いハイリスク・ノーリターンが基本でしょう」
 よくわかんない。
「まぁまぁ細かいところはおいて。どうですか?」
 彼女になりますか? と、満面の笑みがたずねてくる。
「言えと、いうのか」
「態度で示してくれてもかまいませんが?」
 なんか、なににしても、恥ずかしい。
 仕方なしに、もっていたシャーペンを持ち上げて、ノートに書いた。返事を。ぶっきらぼうに。
 するとヤツはおもむろにノートのその部分を破って、胸ポケットにしまった。
「いい言質ができました。もう取り消しは聞きませんよー。では、質問もないことですし、記念すべき初デートでも参りましょうか。日曜日のこの時間なら、どこがあいていますかねー?」
「えっ、ちょっ、」
「ほらほら、筆記用具なんてしまって! 二時間もここに居座ってましたからねー。店員さんの視線が痛かった痛かった。ささ、手を出して。行きたいところはありますか?」
 言われるがままに片付けて鞄を肩からかけたところで我に戻る。あたし、もしかしてすごいミスを犯したんじゃなかろうか。
「やっ、やっぱ取り消す!」
 懸命に胸ポケットに手を伸ばすが、捕まえられてしまう。
「無理ですー。……なんか、いい体勢ですね」
 なんか、ナニする五秒前みたいな。慌てて体勢を直す。
「お、お前なんか嫌いだ!」
「はっはっは。ご心配なく、それぐらいじゃ傷つきませんよ。それに」
 一拍おいた。危機は免れてほっとする隙を突かれる。
「同じ町内に住む、ご近所さんですから」


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