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明るくなる方法
番外編 第6話
 校門から入ってすぐの下駄箱。生徒も使っているだろう、箱に無造作に放り込まれた大量の来客用スリッパに手を伸ばす。履き替えたあと、靴を下駄箱の上に置く。あいつは自分の下駄箱から上履きを出してはいている。
 当たり前か。通っているんだから。
 床は、中学校みたいな冷たい塗装されたコンクリートでなくて、ちょっとした布張りだ。下駄箱のすぐ横にある掃除用具入れをのぞいてみると、ほうきは一本もなく、ころころと転がすテープや、箱形に棒をつけたようなものがある。それを転がすと、布のほこりが取れるそうだ。……へぇ。
「二階が一年の教室。ここは僕が使っていた高一A。今は高二A。校舎の形が『く』の字型で、角になっているところが職員室。近づかないでね。その先には、中三の教室」
「宮脇って、中学生もいるんだ」
「中学受験をしてね。制服もほとんどかわらない。体育祭や文化祭、部活なんかも一緒にやるから、仲がいいよ」
 教室に入ると、やっぱり人はいなくて、がらんとしている。入り込む日差しが教室を暖め、教室の後ろには、ぬいぐるみとかが置かれている。
「ぬいぐるみ? あ、こっちはだるま」
「うちの中学は私物厳禁ですからねー。部活で使うものだったり、体育祭の優勝祈願だったり。あの熊のぬいぐるみは、それがないと気分が落ち着かない女の子がおいてて、途中から平気になったんだけど、そのままになってるんだなー」
「へ、へぇ……」
 なんだそれは。
「ウサギとかかめとか、あそこらへんのキャラクターとかは、なんだか代々この教室に伝わるものらしい。ときどき投げて遊ぶと、先生が怒って……あ、笑った?」
 言われて表情を戻す。笑っていたというか。なんというか。
 ここがこの人の、日常を過ごした場所なんだなぁと思うと、すこし、頬が緩んだ。
「他の教室ものぞいてみようか?」
 聞いてくるので、首を横に振った。
「ここに、もう少しいる」
 一歩、一歩、教室の奥に入り込んでいく。机の数は、一列七個で六列。すこし縦に長い反面、列と列の間がとても広い。人が一人余裕で通れるくらい。
 窓際に近づくと、日向ぼっこでもしたくなるような五月の暖かさ。来ていたパーカーを少し脱ごうとして、ためらって、前をあけるだけにとどめた。
 机の中をのぞくと、教科書が詰まっている机があったり、すーっごくきれいな机があったり。ここらへんは、中学と一緒だなぁ。廊下にあるロッカーに荷物を置く人と、机に入れる人とで、半々らしい。ジャージなんかはロッカーにあるんだろう。
 黒板の色が中学みたいな緑色じゃなくて、なんというか、チョコレート色? 茶色がすーっごく濃くなった色で、なんだか不思議。近づくと少しカーブを描いている。はじのひとでも見やすいような工夫らしい。黒板の隣には時間割表もあるけれど、……国語総合とか理科総合って何だ。科目名に総合つければ高校なのか? あ、体育発見!
「そんなに楽しいですか?」
「楽しい!」
 即答。楽しいというか、興味深いというか何というか。
「じゃぁ、どうして、中学はつまらなそうにしているんでしょうか?」
 表情を一気に落とす。お互い。
「会議室の場所を尋ねた理由は、表情が気になったんです。これから部活動に行く同級生をにらんでいたり、かと思ったら床をみながら笑みをもらしたり。でも、それまでずーっとつまらなさそうな顔をしていたから」
「それ、憐憫?」
「気になったんです。ずーっと、気にしていた。だから思い切って、声をかけてみようと」
 ちらりとそちらをみると、高崎健太郎が拳を握っている。その姿が、ふと、一年の頃、壇上で見上げた姿を思い出させる。拳を握って文化祭を盛り上げましょうと熱弁していた姿が重なる。ああ、あの人だったのかと、今更思い出す。反面、二年前なのに、よく思い出せたなぁと思った。
 つまらないと思ったのは、今も昔も一緒。
「……学校って、楽しいのかな? どうしたら、楽しめる? 学校に行く以外の選択肢なんて認められないのに行かされて、それでいて、どうしたら楽しめる? どうしたら、『充実した学生生活』なんて送れる? ――行くことは大人に勝手に決められていて、どうしようと、変わりはしないのに」
 あいつがすこし悩んだ。間があく。けれども表情に変わりはなく、今までの質問に答えるのと少しも変わらない調子で、答えが返ってきた。
「楽しもうと思わなければ、楽しめないでしょう。楽しまないのは、一つの選択だと思いますよ。そしてそれは、あなたの選択です。親に決められたものじゃない。どうして、不満に思うんですか?」
 楽しもうと思って、それを選択すれば、楽しめるんだとこの人は言う。……たしかにそう思って、行事に積極的に参加して、部活に真面目に通えば、たいてい、楽しめる気がする。けれども、それは、最初からそういう気持ちでいた人たちだけが得る特権じゃないか?
 たとえば、手続きをして、部活に途中入部するのはたやすい。けれども、一度決まった輪の中に入るのはたやすくない。それに、ひと月もすればイメージがつく。イメージから外れる行動をするのは難しい。
 だから、最初から選ばなければ、意味がない。
「一度選んだら、変えられない」
「できますよ。あなたが望めば」
「望めない。それを望むことに、意味があるの?」
「あなたは、それを求めているんじゃないんですか?」
 楽しむ、ことを?
 ふっ、と、目の前に懐かしい光景がよぎる。清潔感しかないようなベッドで、あの子のそばで、あたしはいつもしゃべった。その日にあったことを、どんなに悲しいことも、その子に話すときには、絶対の笑顔で、絶対の喜劇に変えた。多少の嘘を交えてでも。
 ああ、あの頃はできていた。
 けれども、それは、今じゃない。失われていった。すべて。
「赤の他人に、何がわかる!」
 叫んだら、緩んだ。涙腺が。
 視界は男をとらえている。誰だ、この男は。
 誰だ。似ているなんて、一瞬でも思ったのは。
 全然似ていないじゃないか。
 あの子は、こんな風には言わなかった。
 そんな風に答えなかった。

 あの子は――笑って――

 真理なら、大丈夫だよ。

 思い出した記憶が涙腺ばかりを刺激する。胸を騒がせて、振り幅が大きい。心音が、耳障り。
 深呼吸を。ひとつ。ふたつ。
 五回目の途中で、やつが先に口を開く。
「死んだ人間は生き返らないのに、ずっと彼を待つんですか? それまでずっと、幸せを、拒絶するんですか?」

 ――そんなの、

「いつ『終わり』が来るのかわからないなら、続けるしかない!」

 あたしが知りたい。
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