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番外編 第3話
学校に行くのは「日課」ではないけれど、屋上に行くのは「日課」みたいなものだと思う。とにかくあたしが中学校に毎日行っているという事実だけで安心する人が、あたしの周りには一人だけ――もしかしたらもっといるのか?――いて、そのひとが送り出すときの笑顔を見てしまうと、嘘はつけないなと思う。
嘘はついていない。ただ、あたしがいるのは「屋上」であって、「学校」じゃないところ。
でもすこしだけ、良心の呵責を感じる。だから、学校に行く必要のない土日や祝日は、とても、ほっとする。
けれども。
面倒な行事がある日は、嫌いだ。
「本日はお日柄もよく。地域の皆様におかれましては日頃の……」
壇上に立っているのは名前忘れたけど町内会の会長さんで、そのすぐ隣には地元では名士といわれるあたしの父親。それをあたしは遠くから眺めて、父親の奥さんは壇のすぐ近くにある関係者用テントの下で、目を閉じ耳を澄まして挨拶を聞いている。
学校の運動会もまだ始まっていないというのに、四月最後の週の日曜日に、毎年開催される恒例行事。いくつかの町内会が合同で開催し、毎年、運営は持ち回りになる。今年は我が家のある町内会だったから、いろいろ引っ張り出されているんだろう、お気の毒様としか言いようがない。
面倒だなーと、大人の誰もが思っているのに、「せっかくですから」なんて誰が言ったかわからない言葉で、何となく続いている恒例行事って、本当に面倒。
暇をもてあましながら辺りを見回しても、見知った顔はいない。李花は塾だし、こんな行事に参加する冴島なんて、見つけた瞬間に爆笑する。それ以外の、クラスメイトの顔なんて覚えていないようなものだ。
「こんにちは。覚えているかな?」
「……は?」
新手のナンパか? 不機嫌をそのまま表情に出して、顔を声の方向に向ける。
白いTシャツに黒のスウェット。いかにもー! な格好の、けれども歳はあたしと大差がない男子。覚えているか否かで言えば、あたしは、李花と冴島と父親とその奥さん、いつもお世話になっている志摩さんぐらいしか、顔と名前を覚えている人間はいないわけで。
学校の人間なんて、制服着てなきゃ同じ学校とも思わないし。
「誰? アンタ」
「はっはっは、そっか、覚えてないかー」
気にもとめていない様子で笑う。不信感はうなぎのぼりで、もうちょっとこの場を逃げたくなった。
「先日はどうもありがとうございました。会議室の階、教えてもらって助かりました」
そうして、頭を下げる。それこそ九十度で。
見えた背中に、光景がリンクする。
「ああ! あの、」
「思い出しましたか? 思い返せば名乗らずじまいで、とんだ無礼を」
無礼……なのか?
あのときと変わらぬ丁寧さを宿した口調で、すこしだけ機嫌がよくなる。あたしの心は寛大だ。
「タカサキケンタロウです」
「なにが?」
「え、名前ですよ。たかさき、けんたろうと申します。あなたは?」
「……」
前言撤回。機嫌は右斜め下。ちょっと逃げたい。
でも名乗ればすぐに消えてくれそうな気もする。
「いのうえ、まり」
久しぶりに言った自分の名前が、なんだかやたら気恥ずかしかった。
「まりさんですか。いいお名前ですね。ちなみにどんな字を書くんですか?」
「……漢字のこと?」
「そうです」
イイオナマエなんて大人の使う社交辞令だろうに、このサワヤカ少年はごく当たり前のように言ってのける。嘘くささを感じつつも、なんだか妙に癒されたような気持ちになってしまうのは、礼儀正しさがあの子をほうふつとさせるからかも知れない。
思い出した笑顔がくすぐったくて、右斜め下の機嫌は平行線ぐらいに戻る。
「真実の真に、ことわりで、真理です。別の読み方をすれば、しんり」
「お似合いだ」
歯が浮きそうな社交辞令に聞こえるのはあたしだけじゃないはずだ。
「たかさきさんは?」
こうくれば、こう返すのが礼儀というもんだろう。なんだか礼儀を守るなんて久しぶりのような気もするけれど、なんだかこの社交辞令ごっこにつきあってみようという気分になっていた。
不思議と、嫌な気分にはならない。
「高い崎に、健康の健太郎」
「太郎はやはり、長男だから?」
「いえ、次男ですよ。長男は隆一郎です」
じゃぁどんな理由で太郎なんだ。
「一月を、太郎月というんです。そこから太郎と」
「……顔に出ていた?」
「いえ、いつものことですから」
サワヤカに歯を出されて、笑われるともう何も突っ込めない。これが我が家だったら、愛人にとっては一番最初の子供だから太郎だなんて言う理由があり得るんだが、どうやらそれは下衆の勘繰りというものになってしまいそうだ。
ごめん、サワヤカ――じゃない高崎少年。
「では、今日はこの辺で失礼しますね」
「へ? 今日は?」
「ええ、また会う機会があると思いますから。今度は是非、一緒に下校しましょう、同じ町内ですからね」
「……え?」
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