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番外編 第2話
李花は委員会で来られない。冴島は体調不良と言って保健室に引っ込んだ。仕方なしに一人だとわかっている屋上に、それでも行く。三年になって一番の喜びは、屋上が一番近くなったことだ。
四階の廊下を歩いていると、テニスラケット片手にきゃぴきゃぴとはしゃいでいた女子学生の脇を通る。たぶん同学年だろう。もちろんだが、甲高い声はあたしが通るときには起きない。校則違反がどんなもんだと全身で言うが、内実は教師だって怖い大人の世界のためだ。
とはいえ、李花はそんなものをもろともしなくなってきた。彼女の成長はなんだかほほえまして、くるくると動く彼女の表情を思い出して、笑みが自然と浮かんだ。
「すみません!」
真正面から、声をかけられた。目が合う。声をかけたのはテニス部員のほうだと思って目をそらしたが、目が合ったのは嘘ではないらしかった。近づいてもう一度、低い声が一言断る。
「申し訳ないんですけど、教室を教えてもらいませんか?」
久しぶりに赤の他人と話す必要が出てきたらしい。廊下の奥では、さっきあたしの横を通り過ぎた女の子が勝手に緊張していた。
「お手数をおかけします。実は、道を伺いたいのです。文化祭実行委員会は会議室ときいているのですが、会議室は何階ですか?」
「二階」
「ありがとう、たすかりました」
男性にはやや不似合いにすら感じる深いお辞儀をして、小走りに階段を昇っていく後姿を、なんともなしに見つめていた。関係者だろうか。どこかで見たような制服を着ていた。自分と幾分も違わない歳の差だろうが、大人びて見える。
顔はもうすでに、覚えていない。後姿だけが記憶に残った。お辞儀をした時に見えた、背中のせいかもしれない。
あの子があのまま成長すれば、あんなふうにでもなったんだろうか。
礼儀正しい子供だった。そのまま成長すれば、一見すれば態度の悪い人間にも丁寧に声をかけ、道を尋ねるような人間になったんだろうか。
緊張の緩んだ廊下の気配に振り向くと、誰一人として歩いている人間は居なかった。思い出したように階段を昇り、屋上を目指す。
はらはらと舞い散る桜が目に映る。『終わり』かとつぶやいて、目をそらした。
「先輩、真理先輩っ」
「李花?」
「もぉっ、春になったって寒いんですから、風邪ひきますよ!? 外でねてたら!」
屋上の床に座りフェンスに寄りかかって眠ってしまったのか、体のあちらこちらが――首から足から腰から、身体のいたるところ――痛い。目の前で李花がぷりぷりと怒った様子だが、逆光のせいで表情が見辛い。夕暮れがあたりに一日の終わりを告げていた。
「……委員会は?」
「すぐに終わりましたよ。顔合わせと係分担だけだったみたいで。前回文化祭をしたときの生徒会を筆頭に何人か高校生も居て、思った以上に面倒そうです」
「へぇ」
「あっでも、宮脇学園の人もいたんですよっ」
「宮脇?」
「私の第一志望高校なんです。レベルの高い進学校ですけど、私立のわりに学費とかが安くて、けっこう人気があるんですよ〜。聞けば推薦で入学したみたいで! やっぱり役職やった人は内申ちがうかな〜」
そうか、宮脇の制服か。どことなく見覚えを感じた制服は、毎日のようにバス停で見る制服だ。
「二年で志望校か……李花はすごいな」
「そんなことないですよ。半分は親が決めてるようなものだし」
「それでも」
自分は、まっさらだから。
高校なんて親のコネでどこかにいかされると思う。反抗なんてしても無駄だといわれながら、同じような学校生活をするのだろう。学校に反抗して、――親に反抗した気になっている。両親が離婚したという経歴の持ち主である李花は、環境の割りに性格もイイ。頭もイイ。
「李花はいい子だよね」
「……そうですか?」
反射的に李花の頭をなでて、立ち上がった。赤い日差しの中で背伸びをして、凝った肩を鳴らす。
「かえろっか」
学校指定のかばんを肩から提げた李花を見ていると、自分のいびつさがよくわかった。校則通りの、見本のような姿は、絵に描いたようで。この定型から外れる自分の装いは、どこか疎外感がある。
わかったところで、すぐにかわれるものでもないことは、すでに承知済みで。
桜が散りきった頃、学校からバスに乗って駅に出る。電車に乗って、二十分ほどで、景色をがらりと変えた田園風景が広がる。住宅街に住む身としては、田園風景ですら少しうらやましいと思う。
駅の花屋で高くない花を買う。駅からさらにバスで二十分。到着した頃にはすでにあたりはオレンジ色に染まり始めている。これでも冬に比べれば、日が長くなったものだ。桶に水をくみ、花をつっこむ。制服が濡れないように気をつけながら持ち歩いて、すこしのをあがっていく。
すでに花はさされている。持ってきた花を二等分して、左右に飾る。すでに洗われているきれいな墓碑に、こころばかりの水をかける。墓碑自体に必要なくても、あたしがここに来たという実感を得るために、必要な行為。
墓碑の下にはあたしの祖先が眠っている。でもそんなのは大切じゃない。あたしが大切なのは、井上道徳……あたしの、弟だ。
墓碑のうしろにささった卒塔婆をみれば、真新しいそれには二年前の三月十八日と書かれている。今日は、月命日だ。先月の命日にも来たけれど、会場でひっそりと行われた三回忌には出席しなかった。
しゃがんで手を合わせる。しばらくして目を開けると、すこし日が落ちたのか、こころなしか墓碑の影が長い。
立ち上がり、じっと見つめる。いつまでも、あの日の光景を覚えている。
思い出になんて、できるわけがなかった。
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