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明るくなる方法
番外編 第1話
 だいたい、三月の下旬ぐらい。桜が満開になると、決まって読み返す手紙がある。
 分厚いカーテンが日差しを遮断する薄暗い室内には、その隙間から差し込む明かりがふんわりとあたりを照らす。頼りない明かりと手探りで、手紙に届く。つたない文字を指でなぞり、心の中で何度も読む。
 文面はすべて頭の中にある。文字を読む必要はない。ただ、そこに残っているかも知れないぬくもりを感じるだけで、十分。
 月命日には毎月墓参りしているが、十八日は単なる命日。それよりもずっと、桜の開花の方が、過ぎ去った年月を感じさせる。
 思い返して浮かぶあれこれは、一年の精算でありつつも、反省はない。ただ、報告するのだ。手紙の彼に、一年間、自分がしたこと、見たもの、聞いたものすべて。彼が見られなかった代わりに、あたしがすべてを見てあげる。
 最後にあったとき、はっきりとした意識の中で、明快な言葉をしゃべっていた。手紙はそんな日常を思い起こさせる。
 ふっとほほえんで、手紙をしまう。気づけば、一時間近く物思いにふけっていた。
 ――春休み。
 でかけるとだけ言い残して、いつものように家を出て行った。

 いつ『終わり』にしようか。
 最近、そればかり考えていた。



 始業式の日、二学年分しかいない校舎は、なんとなく風通しがいい。一階に一年、三階に二年、四階に三年。なんとなく騒がしさを宿した三階を、一ヶ月前と同じように歩いても、やっぱり出会う面々が違っている。当たり前のことだが。
 久しぶりに昼から来たのに、珍獣扱いの視線がうるさい。始業式も掃除も終わったはずなのに、あちらこちらに生徒が残っている。部活動なのかと思いきや、グラウンドには青春まっただ中の中学生がランニングを始めている。
 帰宅部のはずの生徒が、何となく残っている。今日の、この時間。
 妙な時間に来てしまったなと苦々しく思っていると、久しぶりに明るい声が名前を呼ぶ。
「真理先輩、真理先輩、真理先輩〜!!」
 もっとも、こんなに連呼されるのは初めてだが。
「李花?」
 がばっと腰に腕を回され、抱きつかれる。あたしにそっちの趣味はないと返しながら、ひっぺがす。冷たいといいながらも、別段に沈んだような表情ではない。
 一つ年下になる後輩、青木李花。
 定期テストも小テストも、首席しか取ったことがないような秀才。おまけに品行方正、性格温厚と来れば、優等生と呼ばれない方がおかしい。数ヶ月前、生徒会長選挙に立候補されていながら、当選しなかったのもおかしい。
 まぁ、演説やら交友関係やらに、教師が異議を唱えた結果らしい。人間賢いがすべてではないと、常日頃から言っている教師のことだから、交友関係に問題有りと判断された彼女は、賢くないのだそうだ。
 それはともかくとして、以前見たときよりもだいぶおかしいそぶりだ。抱きつくのも初めてなら、人の往来が頻繁な廊下で彼女があたしたちを呼ぶのは、ほぼ皆無。どうしたもんかと悩んだのはつかの間で、あたりを見回すと、見慣れた顔がある。
「冴島、新学期早々よくきたな……?」
「まぁ、久しぶりに」
 なんといっても、昨日あったばかりだが。
 一つ下の冴島秋。ちなみに男。なんというかこう、あたしにとっては存分に、言い表しがたい存在だ。友人とも違うし。単なる後輩と言うには、なんだか寂しさがある。
「で、李花。どうした?」
 あたしに比べれば、幾分低い身長。頭にぽんと手を載せると、わずかに彼女の目が潤む。なんだかこれは、妙な誤解をされそうだと頭は瞬時に警戒信号を発するも、彼女が涙を引っ込ませる方が早かった。
「せ、せんぱい〜」
 たよりない声。
「ぶ、ぶ、――ぶっ」
 またあふれ始めた涙と不釣合いなこわばった顔が、妙に笑いを誘う。ここで笑ってしまうと失礼なので、こらえるしかないけれども。まわりからじろじろと目線を送られているのにもかかわらず、李花の視界にはあたししか入っていなさそうだ。頭イイのに。
 頭に置いていた手を肩にうつして、落ち着かせようと努力していると、やっと大きく息を吸って、はいた。
 はく時間が長いなぁと思っていると。
「文化祭実行委員になっちゃったんです……!」
「それで?」
「ううっ」
 あ、返答間違えた。
 そう思っても、直したりはしない。李花は適当に変換しなおしてくれたのか、一瞬退いた距離感はすぐに元通りになる。だから好きだ。
「二年に一度の文化祭ッ! その実行委員会なんてメンドクサイに決まってるじゃないですか!!」
「あんたが何を言う」
 愛い奴にしかあたしには見えんが、李花はどうあっても成績優秀、そこそこ運動優秀な「優等生」というやつに、カテゴライズされる。んじゃーどーして嘘含有率九十九ぱーでも優等生とは言いがたいあたしと李花が「先輩後輩」の仲なのかって……それはちょっと話長くなるから割愛。
 んでそんな優等生様は、委員会と言うしちメンドくさい役割もさくさくっと華麗に軽やかにこなしてこそ優等生としての真価だ――とあたしなんかは思う。その点あたしはバカだから助かる。
 実際、うちのクラス委員をやっている奴らも頭いいやつだし、同じクラスの生徒会長も学業優秀のホマレ高い。まーどっちもあたしには縁がない。
「だって、これ」
 右手でくしゃくしゃにされた紙を、壁に押し当てながら逐一きれいに伸ばしている。あーこの子A型だね。んで、開かれた紙にはBとだけ書いてある。
「して?」
「Uが運動会、Kが球技会、Sが選挙管理委員会、Cがクラス委員、Bが文化祭実行委員会で……くじ引きだったんですようちのクラス!」
 まー。それは。
 委員の選び方は基本的に民主主義に則るが、クラス内でメンツ割れしていないこの時期は、クラス担任が勝手に選考方法や委員そのものを決めてしまうことが多い。クラスを乗り越えて有名な人間は生徒会がすでに引き抜いているのも一因だろうなー。
 とはいえやはり基本は立候補。ちなみに、中二の委員はそのまま中三に持ち上がる場合が多い。早々と内申意識した生徒は二年で積極的に手を上げるも、中三になってなんたら長の役割に後悔するという図式だ。
 三年になったとたん早々に引退作業を始める生徒会と違って、委員会の方が息が長い。
 それを見越してなのかは知らないが、くじ引きとは大穴だ。
 去年のあたしのクラスがどうしたのか、欠席してたから知らないが。
「新学期早々、新しいクラスなのにやるねー。担任、誰だっけ?」
「浅木先生です」
「国語の? あの先生の授業はまだ受けてたよー」
 他の授業からっきしだけど、浅木先生の国語は面白いという評価を下している。「まだ」と前置詞がつくことからも自明なように、他の科目に比べれば。テスト前に勉強しないけど、授業を受けてる分、他の科目に比べて再試率が低い科目が国語だ。
「そんな評価はどうでもいいです! もうっ、何で私が……!!」
「まぁ、受け入れろ?」
 担任への恨みつらみと自分のクジ運の悪さをあらかた語ると、李花は明日のお昼休みに屋上でと言い残して立ち去って行った。これから、初回の委員会があるらしい。放課後、妙に人が残っていたのはこのせいらしく、ほとんどの委員会が初回を今日の放課後やるらしい。
 ぱたぱたと廊下を走っていく後姿を見送りながら、一年前、こんな風に「普通の女の子」を相手に話せただろうかと思いをめぐらす。

 井上真理。中学三年。

 朝、胸ポケットに入れてきた手紙の感触を思い出す。
 彼のような終わりが、自分にもいつか来るんだろうか。
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