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第2部 第6話
いつもの食卓。焼き魚の骨を取っていると、母が申し訳なさそうに頭を下げた。
「李花ごめん、明日から一週間、出張入っちゃったのっ」
「あ、そう」
ここ最近当たり前の風景になった、二人でご飯。忙しい母だが、出張で家を空けるのは珍しいというか、一泊で終わらない出張というのは、初めてだ。
「テストも近いし、李花もなんか委員会で忙しいみたいだから、ちょっと遠慮したんだけどね……クレームの処理でどうしても、現場担当者が動かないとって言うことになったの……」
続けて、日帰りで対応できないかとか、せめて二泊に都合できないかと上司に交渉した話をしてくれたが、まぁ結局のところ、一週間の出張が決まったそうだ。難しい経緯はよく聞いていない。
「その代わりに、戻った後の休みはもぎ取ったから!」
月曜日に出発して金曜日戻り。その後三連休になるそうだ。
大阪だって言うことで、とりあえずお土産に肉まんを発注。横浜の中華街も十分おいしいけれど、やっぱり大阪の肉まんもおいしい。
「出張、久しぶりだね?」
「んー、日帰りとかはちょこちょこ言ってたんだけどねー。新幹線乗れば、関西なんて往復4時間だもの」
往復4時間をそうそうあっさり言ってのける人は少ないと思うけど、その時間にもパソコンを拡げて仕事をしている姿が優に思い浮かぶ。
「いままでにも出張って言う話はよくあったの?」
「あー……気を遣わせなくてもいいのよ? お母さんに回ってくる出張なんてのはたいてい、行けばすぐにどうにかなるものだから」
「でも、お母さん、仕事好きでしょ?」
「李花に言われると、複雑ねぇ」
そう言って、お母さんが笑う。……なんだか、困らせてしまったみたい。困らせるつもりなんてなかったのに。
支倉さんだって、ほんとうは、一緒に……やりたいのに。
――まぁだから、青木は視野が狭いんだと思うよ。
どうやったら視野を広げられるの?
部活をしたら? 仕事をしたら? 委員長とか、もっと責任のあることをやったら? 受験生になったら? 彼氏ができたら? 海外に行ったら?
……わからないのに。
屋上で真理先輩と高崎先輩を目撃した。冴島は見た瞬間に逃げるように下へと降りていった。二人の関係なんて全く知らなかった私は、なんて声をかけたらいいのかわからず、しばらく硬直していた。
冴島が逃げ出したことに呆然としたのか、目の前にいる余りにも意外な組み合わせに驚いたのか、全然わからなかった。それに、冴島が隣にいなくなったことが妙に、寂しかった。
「李花?」
真理先輩に声をかけられて、我に返る。
といっても、なんていったらいいのか……わからない。
真理先輩が一つ咳払いをして、高崎先輩を指さした。
「李花は、名前、知ってるでしょ?」
「はぃ……」
高崎先輩。本名はたしか、高崎健太郎先輩。一昨年の文化祭実行委員長で、週に何度か、委員会関係で顔を出している。委員会ではよく見る顔で、現場であれこれ口は出さないが、陰ではいろいろやっている、と言う話は笹本くんとの会話の中で聞いている。
すごく優秀で、県内有数の――私の志望校でもある――進学校、宮脇学園高校の生徒。一言で言うならきっと、スゴイヒト。
「真理先輩とは……」
「か、」
真理先輩外を決したように私を見据えた。「か、」
もう一度言う。「か、」
もう一度。「かれー」……えーっと。
「真理、サン?」
「いう、いうから、言うからちょっと待て!」
ゆでだこのように赤くなった真理先輩は、そういってすこし、私と高崎先輩の視界から消えた。二人取り残され、どうしたらいいものかわからないまま、数分が経つ。
顔色をいつもの色に取り戻した真理先輩が、今度は勢いよく高崎先輩のネクタイをつかんだ。いまからこの人痴漢ですっていったら、すっごくハマる。しかし。
「彼氏、だ!」
男らしく言ってのけた真理先輩に、高崎先輩から拍手がぱちぱちと送られる。一方私は、ただただ、その一言に、呆然として……唖然として……
冴島はこの関係を、見ただけで気づいたのだろうと、確信していた。
「冴島が逃げたことが、ショックだった?」
「……そう、かな?」
塾での授業が終わると、休憩中の笹本くんを捕まえて話をした。笹本くんの場合はこれから授業もあるから、余り長い時間ではない。彼にとっては夜食、私にとっては夕飯のハンバーガーを食べながら、できるだけ簡潔に、その日の話をした。
「真理先輩に彼氏がいたことも、高崎先輩が彼氏だったことも、なんだかそれ自体は、ショックというか……寂しさはあったけれど、冴島がその場からいなくなったのは、だからかなぁって思ったら、なんかショックだったんだよ」
自分の中で衝撃、と言えば、一番はお母さんに彼氏がいたことだったと思う。なんか衝撃で呆然とした。
なんだかそれに、にている。
「なんか、そんなことにショックを受ける自分も、小さいなぁって思うし……」
「小さいとか、そういう問題じゃないでしょ」
「うーん……」
じゃぁ、どういう問題なんだ? と考える。自分で考えても答えが出ないから相談しているのに、支倉さんの件といい、笹本くんは積極的に答えをくれるタイプではない。
「そろそろ、授業始まるから」
「ごめん、結局、私が話してばかりで。」
「青木さんの話につきあうの、好きだから平気だよ」
そういって、テキストの入った鞄をもって、自動ドアを抜けていく。そつがないよなぁ。さすが、笹本くんだ。
なんだかもう、いったい私のなにがいいんだろうって思う。見た目は悪くはないけれど、特段いいって訳じゃない。成績はいいけれど、むしろそれだけだし。
……なんだか今日、やっと一息ついた気がするな。
相手が笹本くんだったからなのか、わからないけれど。話していくほどにどんどんと、落ち着いていく感覚があった。腑に落ちていく、ような感覚。こうしてまで人に話したのはいつぶりだろうか。
なんだか最近、屋上にも行けていなかったから、すごく久しぶりのような記がする。
久しぶりに行ったら、これだもんなぁ。
……明日には、委員会がある。
あの忙しさは、すべてを忘れさせてくれるだろうか。
ハンバーガーを食べきってから、家に帰った。玄関にはいり、明かりのついていない部屋に明かりをつけていくと、久しぶりに誰もいない家に帰ってきたことに、ゆるゆると実感が追いついてきた。
最近――特に言えば、二年生になってからは、お母さんが先に帰宅している日の方が多かった。部署を異動したから、とはいっていたけれど、それでも相当忙しいはずだ。私が塾から帰宅するのはたいてい十九時頃。それまでに夕飯の支度も終えているのだから、きっと十八時少し前には帰宅しているのだろう。
そんな状態で、果たして仕事に支障が出ていないはずが、あるだろうか。
母に言ったら言ったで、子供は心配しなくていいといいそうだ。けれど……そう言って信じていたら、当の本人が疲れ果てて、離婚したという過去がある。母はとても、とてもがんばる人だと思う。だからこそ私が、重荷になってはいけないなと思う。母がこれ以上がんばったら、いったいどうなってしまうんだろう?
私にはその想像の先の方が、遙かに怖い。
この、孤独な部屋――それこそが。
「お風呂入って、寝よう」
湯船の支度を初めて、宿題の確認をしながら待つ。
何かをやっている間は、すべての感情から逃げられるような気がした。
「あれ?」
昼休みの委員会。そこにいた「顔」に、私は正直に驚いて、本人にとっては嫌みに聞こえるだろうことを全く考慮に入れずに言った。
「なんでいるの?」
ばつの悪そうな表情。納得していないとおでこやほおに大きく書かれていそうなふくれっ面に、笹本くんや片瀬くんが何か手を回してくれたんだろうかと想像する。
だが、帰ってきたのは意外な言葉だった。
「別に。委員なんだし、委員会に来るのは当たり前でしょ?」
いや、だからその当たり前をしていなかった時期があるでしょう、あなたには……なんていったら、きっと今までと同じだ。うーん、この場合、なんていうのがいいんだ?
助け船を求めるように、笹本くんや片瀬くんの方を見る。二人とも素知らぬ顔で、配られたプリントに目を通している。くそう、他人事だと思って!
――それは頭いい人の論理だよ。
ふと、片瀬くんの言葉が頭をよぎった。ここで嫌みを言うのが、私の筋だけれども、それではいけないんだ。それは自分の論理であって、支倉さんに通じるものじゃない。
ありがとうなんて言ったらますます嫌みだし。ごめん値なんて機能のことを、謝るのは私のプライドが許さない。
なら、なんて言えばいいんだろう?
あの日の、片瀬くんの言葉を思い出す。
――完璧にあれこれやられたら、自分の立つ瀬ないじゃん。
完璧じゃないところ、いえばいいのか?
「アンケートの集計とか、やっぱり一人じゃ大変だったから、よかった」
あーでも、結局一人でやってるよねコレ! 結局一人でやっても大丈夫ってアピールじゃないのか??
「言ってくれればそれぐらい、手伝ったのに」
意外に会話が続きそうだ。
「部活で、忙しいかなって」
「二十四時間部活やっている訳じゃないんだから、言ってくれればやるよ」
あ、なんか素直だ。
「……というか、ごめんね。昨日は」
――先手を打たれた気がする。
「私も、言い過ぎだったと思うから、イイよ」
そうして少しだけ仲直りをすると、少しだけ胸のわだかまりが、消えた。
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