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明るくなる方法
第2部 第4話
 いつも乗っていたバスが、委員会がいつもより伸びてしまったせいで、乗れなかった。
 この時間、帰宅ラッシュでもないので、一本逃すと二十分は待つことになる。それも、次のバスで行くと到着時間が中途半端で、自習しようにも落ち着かない。
 そんなことも相まって、久しぶりに図書室で時間をつぶすことにした。最初は宿題でもやろうかと数学の教科書を出したものの、ノートを支倉さんに貸していたことを思い出す。委員は文化祭が終わるまで一蓮托生と言うことで、なぜかノートをせがまれ、断れずに貸したのだ、そういえば。
 委員の仕事ぶりは疑問だが、それ以外の場面では、悪い子ではないのがまた、始末が悪い。たぶん、普通の子なんだよな、って思う。別に優等生でも、劣等生でもなくて、男の子にちょっと関心があって、テストは平均点前後とれればいいやって感じ。
 ……何で自分でも、優等生に固執するのか、わからなくなることが増えた。結果がよければお母さんは喜んでくれるけど、別に悪いからと言って、頭ごなしに怒ることはないと思う。自分の中に、中一の時から芽生えている、なんとなく、一番でなければいけない、優等生でなければいけないなんて思う感情の原因を、そういえば考えたことなんてなかった。
「……」
 真理先輩に聞けば、案外、わかるんだろうか。その可能性は低いかな。
「予習でもするか」
 突っ込んでいけば突っ込んでいくほど、答えのでない無限地獄に陥りそうだったので、あわてて現実に戻る。塾のテキストを拡げて、シャーペンを滑らし始めた。
 窓の外は、春になればさくらが満開で、絨毯のように一面を彩る。なんだか委員になってから慌ただしくて、図書室になんて、全然来られなかった。
 あとすこしで、紅葉の時期になってしまう。本当なら長いはずなのに、あっという間に過ぎていた、緑の頃。
「青木さん、かな?」
 名前を呼ばれて振り返ると、委員会で笹本君の次にお世話になっている、制服が違う先輩がいた。
「高崎……先輩? 今日、委員会にはいらっしゃらなかったですよね?」
「うん、ほとんど軌道に乗っているからね。委員会にOBが顔出し過ぎると、現役によくない……んだけど、生徒会の方には、仕事量の都合、週一ぐらいで顔出してるんだ」
 んー、さすが、マメな人だ。
「青木さんは? 委員会終わったよね?」
「塾まで時間できちゃったので、暇つぶしで」
「まだ二年だよね?」
「あー、恥ずかしながら、宮脇を狙っておりまして」
 高崎先輩が通う高校だ。うちの中学からは、毎年一〜二人ぐらいしか進学しない、有名な私立の進学校だ。
「へぇ? でも、成績いいって聞いてるよ」
 う、誰から聞いたんだ、その話。うちの生徒会かな、やっぱ。
「いまよくても、これからどうなるかわからないですから」
 なんか、言っていて苦しいのはわかる。「先輩は、なんで図書室にいるんですか?」
「俺も暇つぶしと兼待ち合わせ。」
「そうなんですか」
 会話が続かないよ!! これは!!
「あ、じゃぁ、私、塾の時間があるので」
「そうなんだ? またね」
 ほんとうはまだ時間があるのだけれども、こうなると、なんだか居心地が悪くていられない。仕方なく残った時間は塾の自習室に引きこもることにして、出したテキストのたぐいをまとめていく。
 図書室のドアを開けたところで、意外な人物に遭遇した――真理先輩。
「李花?」
「あ、すみません、急いでるので!」
 すこし足を速めて、その脇を通り過ぎる。
 時計を確認すると、学校前のバス停から駅に向かうバスが、あと三分後に到着するはずだ。それを逃すと二十分近く待ちぼうけになるので、それはなんだか絵にならない。
「気をつけてね」
 うう。真理先輩は優しいなぁ……
 こんな風に、図書室で出会ったんだョなぁと、ほんの一年前の出来事を思い出した。

 半分駆け込み乗車になりながら、目的のバスには乗車できた。今更ではあるけれども忘れ物を確認しながら、自分的指定席の一番奥を目指す。
「や」
 陽気に手を上げる男の子。――笹本くん。
 このタイミングはないだろうと頭を抱えて、運転手近くの席に座ればよかったと思いつつ、時はすでに、遅かった。
 笹本くんの志望校がどこかなんて知らないけど、成績はすごく、いい。
 私だって成績はいい。そうすると必然、塾が一緒ならば成績別でのクラスも一緒になる。……残念なことに。
 ただ幸いなのは、バスで一緒にならなければ、お互いにしゃべる時間が全くないことだ。そのバスにしても、行きは生徒会、帰りは笹本くんが別の授業をとっているので、私が何かの理由で行動が遅れない限り、滅多に一緒になることはない。
 そう、今日みたいな……ちょっと時間を見誤ってしまった場合以外は。
 いつもなら、笹本くんの乗るバスの時間、考えていたのに! ――冷静に考えて、そこまでして避けているのも、どうかという気になるけど。
「一緒のバスになるのは、久しぶりだね」
 ああもう先制攻撃か。これは!
 空席状況から致し方なしに、座った席は笹本くんの前だ。乗客は私たち以外にもいるが、会社帰りの会社員がいない分空いていて、静かな時間。
「さすがの僕も、そこまであからさまに距離を置かれると傷つくんだよね」
 後ろから割合耳元で、ぼそっとつぶやかれる。息こそかからなかったけれど、後ろから至近距離に来られると、弱い。こんなことなら隣に座ればよかったか。
「委員会では避けていないし……」
「委員会以外では、声もかけてこないでしょ? 伝言は全部、支倉さん伝手にして。同じクラスメイトなのにね?」
 併せて、メールの返信も素っ気ないと続く。
「は、支倉さんは……笹本くんのことが、嫌いじゃないみたいだし」
 これは事実だ。むしろ、支倉さんは積極的に、笹本くんを狙っている節だってある。笹本くんの所属するサッカー部のマネージャーなので、別段二人が話していても、まわりはあれこれ言わないし。
「じゃぁ、青木さんは、僕のこと嫌い?」
 そこつくのが卑怯だと思う。そう聞かれると、嫌いと答えられるほどではなくて、言葉に詰まる。黙るしかないのはわかっていて、そういう。
 後ろからため息がして、至近距離から遠のく。かちかちと携帯を使っている音がして、しばらくして、私の携帯のバイブが鳴る。笹本くんからのメールだ。
 ここで開けなければ、また口撃がはじまるのだと思うと、開けないわけにも行かない。

 ――返事は待つと言ったし、そういう対象としてみて、意識してくれているのはうれしい。

 この妙な気まずさは、「そういう対象」としてみているからなのか、私自身もわからないんだけど、そういう解釈になるのか、やはり。

 ――いつまで待てばいいのかぐらい、教えてくれるとうれしい。

 うーん、たしかに。いわば模試の試験結果がいつまで経っても来ないような状態だもんなぁ。……このたとえはあまりにも色気がないけれど、すでに二ヶ月近く経とうとしている。この時点で、かなり、ひどい女だよな、私。答えは決まっているのに。応えようとすると、なんだか言いづらくて。
 メールで、今、って考えがよぎる。
 でも今応えて、文化祭中、気まずくなったら? これから文化祭まで約二ヶ月、いくら支倉さんがいるとはいえ、係で何度も話す場面が出てくるのに、ふってこっちが気まずい思いをするのは……いやだ。
 言っても変わらない関係なんてものはない。言えば、必ず変わる。

 返信画面にしたまま止まった手を、どれくらい眺めていたのか、また新着メールが来る。

 ――どこが、いや? 好きなやつ、いるの?

 そんなのいない。でも、笹本くんが特別、好きなわけではない。
 特別な存在がいるとすればそれは……真理先輩とか、冴島、とか。それにしたって、恋愛感情での特別って訳じゃない。考えたこと、なかったけど。真理先輩は女だし、冴島はなに考えているのかわからないし、そもそも最近、あってないし。
 いない、とだけ書いて、メールを送る。

 ――じゃぁ、期限決めて。それまで何にもいらないから、無視するのだけ、やめてほしい。

 そのまっとうな……要求のようなものに、応えるのにすら、私は神経を使う。どこまで面倒な人間なんだろうかと、返信を考えながら落ち込む。
 期限、と考えて、最低文化祭とすると、あと二ヶ月ある。とはいえ、文化祭が終わった後も、委員会の集まりがあるのは引き継ぎで判明している。打ち上げがあるのが、たしか十一月の末だ。
 じゃぁ十二月かな? と思ったところで、冬休みの存在に気づく。いっそ、終業式までにすれば区切りいいのかな。うん、それでいいんじゃない?

 二学期の終業式まで、と書いて送る。

「長くない?」
「えっ、う、いやー……」
「冬休みに入るから気まずくならないと思ってる? 冬期講習、すぐ始まるよ」
 至極まっとうな答えが後ろから聞こえる。それは、そうですね……
「まぁ、いいよ。絶対、無視とかしないでくれるんならね」
「善処します」
「じゃぁ今日は、塾の席、隣に座ろうか」
 えっ、それは、不自然じゃないでしょうか。塾の席は普通、長机に一つおきだ。
「ん、だから同じ机」
 ……それくらいなら。
「いい、よ……」
 ささやかな要求がのまれたのに安心したのか、笹本くんはファンが多いらしいさわやかな笑顔を向けてくれた。

 ――そろそろ、一年になるのか。

 夕暮れ時。陽の傾いた窓を見ながら、そんなことを思い出した。
 まだ暑さの残る九月末、十月の第二週にある三日間の中間試験が現実感を持って迫りだした。授業では中間の範囲という教員の言葉が耳につくようになったし、運動部も心なしか元気がない。
 廊下をぱたぱたと走る足音に反応すると、見慣れた人物がジャージで廊下を走っていた。小脇に段ボールを抱えて。
「支倉さん、今日も部活?」
「うんっ、三年引退した分、マネージャーが人員不足なんだよねー」
「ああ、そっか」
 支倉さんはサッカー部のマネージャーだ。夏休みは大会で多忙といい、九月も引退する三年と一・二年で試合をするから多忙という話だった。
 とはいえそれでも、超多忙な生徒会と平行している笹本くんのような人物もいるわけだから……まぁ、すごい人はすごいと思う。
「あ、そだ、地理、ノート貸してもらっていいかな? テスト範囲って言ってたとこ、気づいたら消されていたんだよっ」
「明日でいいなら」
「ありがと! じゃぁ、部活行ってくるから!」
 元気なんだよな……性格も、悪くはないんだよな……
 部活に向かっている意識を少しでも、委員会に向けてくれたら、こっちも楽なのになぁと心の中でつぶやく。教室に残っている生徒の笑い声や話し声が、あちらこちらで聞こえる。
 今日は塾もない。図書室はあの日以来、なぜか行くたびに高崎先輩と遭遇するために、何となく行きづらい。高崎先輩自身は悪い人でないことを存分に知っているのだけど、……ああして委員会に活躍して、高校生活も充実してって言う人を見ていると、なんだかまぶしくて、直視できないのだ。
 結局自分に、問題があるんだけど。
「一年、か」
 一日がだんだん短くなって、季節が秋、冬と一年の終わりに向かっていく。
 今でも覚えている。真理先輩と、冴島に出会った、初めての日。暑くて、冬服が恨めしくて、それでも、先生にニコニコと対応していた。
 ……ちょっとは、変わったんだろうか、何か。
 間違いなく、二人分、交友の幅は広がったんだけど。どうなんだろうか。
「青木、今帰り?」
「笹本くん、……部活は?」
「ああ、今日はちょっと用事あって、帰るんだ。途中まで、どう?」
 笹本くんも、友達……かな。
 期限が決まってから、無視しない、と言うことになって、教室でも話すようになった。
「あ、うん」
 一緒に帰る機会もできた。委員会の後、一緒に塾に行ったりとか。
 冴島を引き合いに出してもしょうがないと思うけれど、笹本くんは優しい。話していても飽きないように、適度にこちらに話を振ってくれるし、他の男子みたいに下ネタに走ることもない。
 なんと言っても一番冴島と違うのは、いつも、にこにことさわやかにいることだ。もちろん、委員会の時とかは、まじめな顔なんだけど……なんだろう、メリハリがきいてる? のかな?
 一緒にいる時間が増えてますます、この人、もてるよなーと、実感してしまう。
「さっき、支倉さんとあったよ。三年生が引退して、大変なんだって?」
「あー、こっちはそうでもないんだけど、マネージャーは大変かもなぁ。四人いたうち、二人引退したから」
「そ、っか」
「青木、サッカー部でマネージャーしない?」
「無理」
「んー、そか」
 それ以上の深追いはなく、今度はまた別の話に移っていく。
 正直に言えばずっと、この距離感ならいいのになって、思い始めている。

 中間テストまで、あと二週間。文化祭まで、あと一ヶ月半。冬休みまで約三ヶ月。
 返答期限まで、あと三ヶ月。
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