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第11話
「ごくろーさん」
ロッカーから出てきた冴島がシャッターを切る。ああ、足を上げてるよ私、絶対。当たってないけど。
カメラのフラッシュで名取の手が緩んだ隙にタイを取り戻して、冴島に手を引かれるまま、会議室を飛び出した。
「お前、わかっているのか!?」
「教師に逆らうのも、これだけ証拠があれば、私を守ってくれる。――総スカン食らったって、それが問題じゃない。ただそれを、教師がするのが許せないだけよ。女生徒を使って、ね」
冴島の手には、テープレコーダーとカメラ。アナログだが、一番これが確実だった。音声と映像。裁判にもって行くには、量的に不十分かもしれないが、教育委員会やマスコミに訴えるのに使うなら十分だ。生徒への誤った指導、セクハラの二項目は、懲戒免職は避けられないだろう。
「貴様!」
「ほらほら、まだテープ回ってるぜ? センセー」
冴島が茶化した。名取の顔が不自然にゆがむ。
「なにが望みだ」
「お母さんあきらめなよ」
「お前がそれを言うか!? 再婚の話をしたときに、いやそうな顔をしたお前が!?」
記憶無いわ。一生懸命笑顔作ったと思ったんだけどなぁ。コドモはうそつけない。
「……そうなんだ? そっちの親戚がバツイチ嫌がっただけじゃなくって? 束縛しすぎる、子供のような男みたいだって、お母さん言っていたけど」
意見の齟齬ってこんな感じなんだろうな、とさめかけた心で思う。かわいそうなひと。
「要求はなんだ? それだけじゃ、ないだろう」
頭の回る男だ。だからお母さんは、子供のような男に、ほれたのかもしれない。やだねぇ。
「教師、辞めて。私嫌いなの。あなたみたいに、一般企業がだめだったから教師になりましたって言う、へらへらしたの。どうせこれがマスコミに流れたら処分は免れないんだし、ちょうどいいでしょ」
名取はこりもせず、また襲ってきた。ここ、廊下ですよ? 先生の大声に驚いた先生達が、職員室の窓から様子をうかがっている。
「お前が言うのか!? 俺とお前の母親の、結婚に反対したお前が! 子供のわがままと独占欲で、母親の幸せを奪ったお前が!」
「そんなこと結局のところどうだっていいわ。あなたとお母さんは結婚しなかった。結果はもう分かってるんだから。――この写真とテープ、あなたはどうして欲しい?」
唇をかみ締めた名取の顔は、人生八十年の記憶のうち、長い間、私の胸から離れない気がした。
翌日、終業式。
名取は辞表を提出した。
といっても、年度の終わりも近く、引継ぎなどがあるので、実際に辞めるのは来年の三月だそうだ。辞める、という結果はいずれ来るに違いないけれど、安心できない私は、テープを渡すのは四月になってからだと言った。誓約書にサインして、何か起こるまで、一切の公表はしないと誓った。
今回の件で、私はつくづく思った。
人のいい仮面をかぶるということ。ゆがみ。退屈。葛藤。――そして、得る孤独。私はずいぶん、軽いほうですんだ気がする。症状も、期間も。
それはきっと、認めたくなかった部分だけれど、今なら、認められる。
終業式のあとは、放課後に残る生徒はいない。クラブの活動が、今日から二〜三日は全面禁止。学校にある機材などの安全点検期間で、クラブに機材を貸している暇ではないからだ。
クラブ毎にで不平等があると生徒がうるさいから、全面禁止と言うわけ。
先生の見回りはあるものの、屋上に入れる生徒がいるという情報は本当に総括外のことのようで、一度だって来たためしがない。
「ありがとね、面倒、見てくれて」
屋上の貯水タンクの上で、空を眺めている冴島に言った。スカートが気になってそこまで上れない私は、ありったけの大声で叫ぶ。白い混じりのない透明な冬空に、違法喫煙の煙が舞う。いい子の私はそれを注意するけれど、冴島が気に留めた様子はない。
「いいのか? 教師にあんなことして。内申、下がるんじゃないか?」
「成績表はテスト点数評価プラス提出物だから、成績表には関係ないよ。内申にしたって、数学ひとつ、評価下がったくらいで動じるような成績じゃないから。いざというときの伝手もあるし」
成績表と内申の点数が違うと言うのは、どこにだってある話だと思う。
呆れたようなため息。自分でも、すごい自信満々だなーと思う。でもコネがあるのは本当だし、数学が四になった程度で平均はさほど変わらないのも本当だし。
「離婚したって、言う話……」
つぶやくような声で言った。普段なら聞こえなかっただろう声も、静まりかえった中ではよく届いた。ためらっていたのかな? 私は心を暖めた。
「ホントだよ。弟と離れてるのも、全部本当。唯一の嘘は、連絡先は知っていることかな? 相手が引っ越していなければ、だけど」
でも、手紙は出せない。
「似てるんだな、本当。お前と真理。真理が世話焼くの、分かった気がする」
冴島が起き上がって、吸殻を携帯灰皿に入れて、貯水タンクから降りた。タイミングを計ったように、非常階段から井上真理が入ってきた。
「悩める少女よ、どうだった?」
テープで録音したり、写真を撮るというのは、彼女の提案だった。冴島が数学でさくさく問題を解いていたことといい、この二人は頭の動きが悪いバカではない。
ただすこし、暴走癖と暴力的な面が、時々、顔を出すだけなんだと思う。本当は人をよく見て、きちんと人として、お互いに付き合える人。――というのが、私の現段階の、彼らに対する評価と言うか、見解と言うか。
「成功。助かった。ありがとう」
二度目のありがとう。微笑んだ井上真理に、こちらもつられて笑みを浮かべる。少女漫画だったら間違いなく、小花が散っている。
「でも全然、悩みは尽きないよ。これからどうしようか、とか、いっぱい考えてる。考えれば考えるほど、意外なところで落とし穴とか、置いてきた問題とかを拾ってきちゃって、全然、考えが進まないよ。変わってないなぁって、思っちゃう」
身を切るような寒さの風が、肩につかない私の髪をいじる。真理先輩のほうを見ると、腰ほどに届きそうな長い髪が、円を描いて揺れている。
「一年しか長く生きてないけど、愚痴こぼす相手になるくらいはできるから、いつでもここにおいで、李花」
差し出した手を、私は迷わず握った。隣の冴島を見ると、笑みを浮かべていた。やさしく、淡く。
――――――ええいっ、おさまれ心臓!!
「李花、手ぇ痛いよあたし……」
握り締めた手の矛先で、悲鳴が上がる。屋上で、そんな日々を送る。
これからもずっと、静かに。
変わらずにずっと、静かに。
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