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第9話
お母さんの目が、大きくなった……気がした。
「名取先生って言う、数学の先生がいるの。名取さんって、めったにいないし。それで、下の名前が」
「ごめんね李花、気まずい思いさせちゃって。でも、あの人に私に娘がいるとは言ったけど、それが李花という名前だとは伝えていないし、年齢も言っていない。あちらが、こっちに気づくはずがないわ」
うそだ。あの数学教師は、私の母親を知っている。
――お母さんも、分かってる。
「うん、そうだね」
分かった。いつもと同じだ。娘の私に求められている答えはYES。それ以外じゃない。
それに、情報は得た。あの名取先生は、昔お母さんと付き合っていた、名取部長の息子だ。百%じゃなくて、十中八九ぐらい。別れた経緯とかは全然知らない。でも、慎重なお母さんが私に再婚をほのめかしたということは、話自体は大分進んでいたことになる。プロポーズ、もしくは何らかの形があった。
……自分の母親のそういうこと、想像するのっていやだなぁ……
沈黙が気まずい。話をすりかえる。
「学期末、トップだったよ。九七〇点」
「そうなの? 次も、がんばってね」
とりつくろったような笑みも、私の嫌いな顔。お皿を片付け終わると、お風呂に入った。
――お母さん、私のことは気にしなくていいよ。
再婚を持ち込んだ母に、私が言えた精一杯の言葉だ。生まれてからの持病だったぜんそくの発作がなくなりはじめていた時期で、毎日のように通院してくれた母に対する後ろめたさばかりが、私の中にあった。
でも本当は、再婚するなら、お父さんとして欲しかった。……楓と、また姉弟になりたかったから。私と楓は、私とお父さんは、きちんと手続きをすれば、お互いにあえるし、あわなければならない。でもお母さんがそれをひどく嫌がって、離れ離れになったまま、連絡を取らずにいる。今どこにいるのか、遠い県外なのか、市内なのかさえ、分からない。
お母さんが嫌いかって言われれば、そうじゃない。ただ、すこしだけ、息苦しいと思うだけ。そしてちょっと、そのもろさがいやになる。
お母さんが楓にあいにいけないっていうのは、私からしてみれば、自分の傷だけを考えている、自己中心的な弱さだ。もっとも、私も少なからず、その性格を引きずり持っている気がするけれど。
まずは、目の前の敵に、毅然とした態度で挑むことだ。
二学期終業式前日の今日は、午前のみ、生徒総会がある。うちの学校では、生徒会役員は六月に一応の辞任と着任をして、正式な就任は九月から、ということになっている。旧役員が引継ぎ他もろもろを終えて事実上引退するのが八月だからだ。
今の会長は二年生で、女の人。えーっと……名前、知らないよ。ロングウェーブが特徴的で、それのセットに一日一時間かけているという話。どうでもいいうわさばっか覚えちゃうんだよねぇ。女だ、私も。
ちなみに、一月末ごろになったら役員選挙があって、これには各クラス二〜三名の立候補が必須。ちょうど今、その説明にはいったところだ。
深く腰をかけた折りたたみのいすでお尻を痛くしながら、背筋を伸ばして壇上の人を見る。優等生らしい話の聞き方だ。総スカンをくらっても、一人でも先生がいる前では優等生ぶりを遺憾なく発揮し続けている。
学校においてそうしない場所はないに等しく、私がすぐに思い浮かぶのもせいぜい、屋上ぐらいだ。
そんな屋上の……仲間って言うの? あー、仲間はちょっとしゃくだわ。屋上……屋上……あー、仲間でいいよ。屋上仲間の冴島は本日欠席。でもそんな日は大概屋上にいたりするから、今日もそれかも。
マイクの電源を切るときの、独特のブツッという音が聞こえると、私は思考を壇上に戻す。閉会の挨拶で、そのまま終礼になだれ込む。各種係りへの伝達のみで終わると、あたりはざわめきながら散会。腕時計を見ると、まだ十二時にもなっていない。ため息をついて、いすから立ち上がった。
向かう先は、屋上と、職員室。
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