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明るくなる方法
第8話
 腕のしびれば、数時間もすればなくなった。ケガの跡は一週間ほどで、消えはじめた。切り傷だからだろう。クラスメイトの無視は、三週間たって、学期末が終わった今も、続いている。
 二学期末は、カンニングを疑われないよう、消しゴムのケースまではずして、望むことにした。いちゃもんつけるやつはいるもんだ。掲示板に張り出された結果を前に、私は胸を張って、大きく息を吸い込んだ。
 一.青木 李花  九七〇点
 科目は英語二つに数学、国語、理科二つ、社会、保健体育、芸術(音楽と美術)、技術家庭科の全十科目。うーん、技術家庭科で一問まるまる落としたんだよなぁ。くやしい。
 うれしい。
 決戦準備は、できたも同然。携帯を開いて、閉じた。まだ時間があるから、まだ。少しだけ……
 終業式は、明日。



「ただいまー」
 塾から帰って、誰もいないマンションに向かって言ったはずだった。玄関に、リビングの光がわずかにもれていた。鼓動が早くなるのがよく分かった。
「おか、あ、さん? 帰ってきてるの?」
「塾お疲れ、李花」
 微笑みながらお母さんが言った。私も笑って、ただいま、ともう一度言う。いつもは部屋に直行するところを、お母さんの座っているリビングダイニングのいすの正面に座って、お母さんを見た。
「晩御飯は?」
 時計は八時をさしてる。
「食べてない。軽くでいいよ」
「じゃぁ、チャーハンでいいかしら?」
 キッチンに移って、自分用に作っていたらしいチャーハンを、火をつけて暖めてからお皿に載せて、テーブルの上に置いた。その間に制服からパジャマに着替えて座る。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
 自分で言うのもなんだけど、なんだか、たどたどしい感じ。一つ一つの言葉を確認して、かみしめて、話す。私がそういう意図なんじゃなくって、お母さんがそう話させるんだ。と、私は思っているけど。
「学校はどう?」
 教師からいじめられているとか、クラスではぶられてるとか、ネタには尽きないのだけれど、のどを通ったのは本当のこと。
「たのしいよ」
 にっこり。
 ネタになりそうなことは言わない。だって、そう言ったら電話とかで抗議しそうだし。直接乗り込んでくることだってありえる。内容が内容なだけに。他の子供がどうなのかはおいて、私は自分のお母さんに、そんなことはしてほしくないと思う。醜いじゃない。
「体調は平気そうね? 定期健診、来月の予約はもうした?」
 確信があるように聞く。分かっている。母親の問いに対して、私に必要なのはYESという肯定。
「平気だよ」
 それからしばらくの間の沈黙。
 私の中にあるのは、ためらい。
 本当はもっと早くに聞こうと思って、放置し続けた三週間。お母さんの仕事が忙しかったのもあるけれど、――聞くのが気まずい話題、だし。
 でも今の私は、聞いて、白黒つけなきゃ挑めない、勝負がある。清水の舞台から飛び降りるキモチを実感しながら、米粒一つも残っていないお皿を台所にもって行き、洗いながらたずねた。お母さんがしているのは、明日のお弁当と夕飯の準備。
「私が、小学校四年生くらいの時、付き合っていた人、いた、でしょ?」
 どきどき。
「……そういえば、そうね」
 出だしは好調? 暗い雰囲気ではない。もしかして、いいことあったのかな?
 お母さんはもてる。付き合っている人がいない時期なんてほんとに少ないし、冗談で、楓以外にも兄弟がいるのよ〜なんていわれたこともある。ちょっと笑えなかったけどね。それくらい、見た目も性格もそこそこにいい。
 いや、娘の私が言うようなことじゃないのは重々承知だけど。
 小四のとき付き合っていた人……当時は、ぱっとしないサラリーマンだったけど、その人のお父さんがお母さんが勤めている銀行の部長さんで、そのつながりで知り合って、付き合ってるって言ってた。
 お父さんと離婚してから、初めてまともに付き合った人だったと思う。いつも幸せそうだった。結婚も考えてるって、私に言ったんだから。左腕につけた時計を、大事そうに触れながら。
 そう言った三ヶ月後ぐらいに、お父さん、いなくなっちゃったのって言った、あのときのお母さんの涙が今も忘れられない。なくなった腕時計も。
「あの人、今、どうしているの?」
「さぁ? 部長とはもう、今は部署が違うし」
 仕度が終わって、私がお皿を洗っている隣で冷蔵庫からビールを出して、プルをあげる。一口飲んで息をついた。
「あの人がどうかしたの?」
「……ぁ、のね、もしかしたら、」
 よどんだ。
 これは個人の領域だ。聞かれて、話して、家族だからって、話せる領域じゃない。娘の私は聞いても平気? ――でも、知らなきゃ立ち向かえない、大切な情報。
「その人、うちの学校で今、数学の教師しているかもしれないの」
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