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明るくなる方法
第7話
 条件反射で、小さく声を漏らす。傷口を手で押さえながら机の中を見る。
 ……カミソリですか。バンソーコーは常備しているけれど、それじゃ止まりそうにもない。ご丁寧に三角形になるようにして何箇所も張られている。全部で何枚のかみそり使ったんだ、暇人。
 おかげで気づけば数箇所に傷がある。保健室に行くことにした。ハンカチを巻いてもにじみ出る赤い液体。苦手じゃなくて良かった。
 セロハンテープで端を固定されたカミソリをひとつ回収して、バッグに教科書を戻して左肩にかける。右手は心臓より上の位置にあげる。その上で、できる限り、切れた幹部を圧迫する。……思いっきり怪しいなぁ、自分。ロッカーの番号は変えたばかりだし、そこに入れても良いんだろうけど、なんといっても相手は暇人だから、用心に越したことは無い。
「朝からすごい格好だな、優等生」
 両手を頭あたりの位置で固定して移動しているのが、珍怪に映ってみえるのは、言われずとも分かっている。
「どうもありがとう」
 お礼を言う。自分でも思う――いやみなんだか、そうじゃないんだか。総スカンされて、小さいことを気にするも何もないので、周りの視線を気にせず話す。
「かみそりで切ったの。私はかみそり机の中に入れて喜ぶ性格してないから、もちろん、いじめよね、これ。職員室に証拠もっていこうと思うんだけど、それより先に保健室に行かなきゃ思うの。かばん邪魔だから、持っててくれない?」
「おまえ、あの虫唾が走るほど謙虚な優等生ぶりはどこにおいてきた?」
「……クラスメイトから総スカンくらってもそれを続ける人間でいられるほど、賢すぎる人間に生まれたつもりは無いわよ」
 図太い女、とちいさく言ったのが聞こえたけれど、こんな状況下ではこれくらい図太くなくては、女として生きていけないでしょう。きっと。
「保健室、ついていってやるから」
「あら、やさしくなった?」
 差し出された手に、かけていたかばんを渡す。自然な流れで渡したけれど、渡したあとで気づいてしまった。

 なんで、こいつにこんなに、気を許しているんだ? 私。

 口元に笑みを浮かべた。
「ありがとう」
 笑ってごまかしてみた。



 内申には保健室利用率も響いてくるので、実は初利用だったりする。中には毎月来るっていう子もいるけど、毎月のことに関して、私は無縁だったしね。
「あら、ひさしぶり」
 にっこりと微笑んだ保健室の先生は、私ではなく冴島のほうが目にはいったらしい。首を少し動かすと、冴島はバツの悪そうに、顔を手で覆う。
「にらまないでくだサイ。俺じゃないです。コイツです」
 どうやったら、この微笑が『にらむ』になるんだ? と首をかしげながら、かみそりと、切り傷の出来た右の腕を出した。ハンカチをはずすと大分血は止まっているものの、かみそりのあとが狭い間隔に四箇所ほどある。
「物騒なきずねぇ。うん、出血は止まりかけなのかな? よくやったわねぇ、ハンカチと手を使っての圧迫止血と、傷口を心臓よりも高く上げるの」
 理科の実験でビーカーを割った子なんて、血をたらたら落としながらここまで来たのよ、なんて笑いながらいう。笑えないんですが、先生。
「そういった対応を以前、聞いたことがあって……」
「思い出してやったの? 緊張すると逆に冷静になるタイプ?」
 そうかもしれない、とも思った。最近冴島の発言でなんだか妙に感情的に、涙腺もろくなってきた気がしなくもないけど。少し話をしながら、先生は傷口を消毒して、包帯を巻いていく。
「しびれているような感覚とか、平気?」
「今は、少し……」
「学期末試験とか近いけど、平気かしら? 放課後、様子を見たいからもう一度来てね。動かしにくくて板書とか不便かもしれないけど、大変だったら後ろのアキちゃん使っていいから」
「誰がアキちゃんだッ」
 冴島が叫ぶ。……おろ?
 目の前で繰り広げられはじめた、赤い顔をした冴島――あきちゃん?――と、保健室の先生のバトル。痺れの取れない右腕を、半ばクセみたいな感じで押さえていると、冴島が白旗を上げた。
 ひたすら傍観者だった私が、保健室の先生のほうを見た。
「アキちゃんと仲良くしてね」
「は、はぁ……」
 しっくりしない感じのまま、予鈴がなったので保健室を出る。変わらずかばんは冴島が持ってくれているので、少し、手持ち無沙汰の感があるけれど、それがなんだかうれしい。
「ケガ、平気か?」
「うん。保健室の先生、面白いね。なんか、かわいい感じもあって」
「あ〜れ〜が〜か〜?」
 顔をゆがめる冴島。因縁でもありそうだ。
「知り合いなの? あ、保健室登校だったから?」
「保健室登校だったのもあるがな。……母方のいとこ……だ」
 あー、なんか驚きに免疫ができたっていうの? クラスメイト総スカンのあとじゃぁ、若干のことには動じなくなってる。むしろ、うらやましく思えるほど。いいなぁ、従姉が保健室の先生かぁ。
「相談しやすい……とか?」
「いや、そうでもない。本人は全否定しても、親戚筋に話が流れるといやだからな」
「そ、か」
 親戚かぁ。……そういえば昔、あったな、なんか。お母さんが再婚しようとして、バツイチ女っていうことで親戚でもめて、なくなったっていうの。お母さんの再婚話は今まで二回ほどあったけど、そのどちらも失敗してるんだよね。
 ――はれ?
「あの数学教師って、名取、だよね?」
「確認しなくても、お前なら覚えてるだろ」
 ごもっともで。
「名取の下の名前、分かる?」
「数学教師だからカズヤだって、自己紹介のときのフレーズであったぞ」
「あー……」
 一学期第一回目の授業はほとんど自己紹介で終わったんだけど、そのときにそんなことを……確かにいっていた気がする。
「カズヤって、漢字は?」
「不和雷同の和に、断定の助動詞・也」
 ずいぶんいかつい例文だすな、冴島よ。――名取和也。なんだかなぁ、それってもしかして? 考えすぎかもしれないけど、それなら、なんだかこう、嫌がらせを受ける理由もなんとなく分かる気がしてくるかも。
 解せない上に、お門違いもイイトコだけど。
 あーなんか、やだねぇ、成長しない男って。
「不気味な笑いを浮かべるなよ、ケガ人」
「ごめん、ちょっとね。なんかあったら協力要請するから、その時はよろしく」
「わけわかんね。学期末の試験勉強以外ならな」
 おどけた調子。
 本鈴がなって、少しの罪悪感があったけれど、包帯を見ると、これが免罪符のような気がして、自分を正当化してみた。
「誰が、アンタなんかに」
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