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明るくなる方法
第6話
 授業終了のチャイムが鳴る。ぴったりその瞬間に、やつが起き上がって廊下に出るのを確認して、同じように廊下に出る。もちろん、右手にはお弁当。すこし距離を保ちながら、やつの後ろを着いていく。なんかストーカーっぽいとか思ったけど、声はかけられない。――だってここは、人の通る廊下だから。
 ま、屋上行く確信はないんだけど! 階段を上っても、職員室って可能性はなくもない。呼び出しとか。
 でもやつは私の期待通りに、階段を迷うことなく上っていく。もしかしなくても気づかれてる、とか……?
 それが確信に変わったのは、屋上のドアの前で、やつが立ってそこにいたときだ。目的地は、そのドアの向こう。
「優等生、ストーカーもどきはやめること」
 小さな弧を描きながら、私に向かって小さな何かを投げられた。右手はお弁当でふさがっている。なれない左手キャッチで、危うげに受け取る。握った手を開くと、どこにでもありそうな、でこぼこの刻みがついた鍵が、私の手中にある。
「ここ、入れてみ?」
 そういって指差したのは、屋上のドアノブ。鍵穴の形は、中心だけ凹になった手の中のものとあっている。おそるおそる、近づいて鍵を入れて、まわした。確かな手ごたえと、音。思わず男の顔を見る。微笑んでもいない。いつもどおりの、無表情。そういえばこいつの表情の変化を、そんなに見たことないな。
 ドアを開けると、そこにあったのは、十一月中旬の寒い風と、澄んだ空だった。
 おびえながらドアから一歩足を出して、さらに一歩。もう一歩。教室においてきたカーディガンを思い出しながら、屋上の中を歩く。
 気づくと一周していて、気づくと冴島は屋上のドアの上、貯水タンクのところにいた。私は屋上の出入り口が風をさえぎってくれるような位置に座って、お弁当を広げて箸をつついた。
 左手の腕時計を見ながら、いつもよりゆっくりと、箸をすすめる。
 息苦しくて生暖かい空気や黄色い話し声が、なにひとつないここは、鳥肌が立ちそうなほど寒い。グラウンドを走っているかけ声や、体育の授業がのびているブーイングしか聞こえないけれど、心が安らいだ。
 家のベランダだって同じなのに。小さな風で、小波がわずかに立っているだけの海みたいな気分。動いているけれど、静に近い。
 正座がつらくなって足を崩すと、ポケットの中の硬いものがスカートの生地越しに肌に触れる。思い出して、空を向きながら声を出した。
「さっきの鍵、返さなくていいの?」
 キーホルダーもなにもついていない、無愛想な鍵をポケットから出して、屋上の床に置いた。返事もすぐにはなくて、コンビニの袋をあさるような、かさかさという音がした。パンの個包装を破る音が、静まった屋上でまっすぐに聞こえた。
「お前のものになるためにできたものだから。俺の分はあるし」
「私のぶんってこと?」
 箸をおいて、鍵を手に取る。冷たくなったそれを、右手でぎゅっと握ると、だんだん温まってきた。
「この屋上、真理が両親につめよってゲットしたんだ。ここは公立だけど、あいつの両親はコネがあるから」
 淡々とした言い方。でも、なんだかすんごいこといってる気がする。
 ちょっと疑問が解けた。イノウエマリがどんなに悪名高くても、退学にならないのはそんな理由……? 公立で、しかも中学なんて義務教育中に退学なんてありえないけどさ。
 暴力沙汰のうわさが流れても、実際停学処分になるのはうわさの数分の一で、停学処分の張り紙が張り出されるまで、大体発生から一週間ぐらい猶予がある。いつもふしぎだったけど、オトナの事情ってヤツですか。おそらく、多分。
 ……そんなこと、私に話していいの?
「真理はアレで、お前のことは気に入ってるんだよ。だから俺も、お前は嫌いじゃない」
 なんだかよくわかんない理由付けだな。でも、こんなに寒い中で、一気に顔が熱くなっていく。面と向かって嫌いじゃないと言われたわけじゃないのに。あー、あー……
 嫌いじゃないって、なんだかね。好きだって言われるより安心するかも。ひねくれてるのかなぁ、自分。
「……まぁ、実際これから使うかは本人の自由意思だから気にしないけど、気が向いたら来いよ。嫌われたクラスメイトと一緒にいるよか、こっちのがいいだろ」
 なんてことを直球で言う男だ。デリカシーのない。
 でもそんなことに弱かったから、顔を赤くして、熱くして、目なんて潤ませてきた私がいるわけで。
 やさしさのあることも知らずに、頭ごなしに彼を拒絶していた私も、いるわけで。
 好奇心の興味本位で、イロイロ調べていた私も、いるわけで。

 なんだよ私。ばかみたいじゃない。

 すっきりしないから、答えはひとつにまとめられなかった。周りの寒さなんてお構いなしで体が熱くなっていく自分が、とてもはずかしい。
「鍵はありがたくもらっておくから」
 しおらさなんて無縁で、謙虚な優等生の私が聞いたらえらそうにって笑いそう。
 でもそれでいいと、十一月中旬の空が、白い太陽を澄んだ雲で覆って答えた。



 多分一日ぐらいじゃ、人間すぐに変わらないと思うけど。

 翌日。優等生スマイルで元気よくおはよう! といって、誰も返事がない上、視線が合っても何もない。近づいてみて、同じようにおはようといっても何も無かったフリ。
 これがハブってヤツですか? クラス全員から総スカンを食らった。
 クラス全員といっても、私と、冴島と、登校拒否の子が若干マイナスされるけど。一日で一気にこんなことなるわけないじゃない。根回しが無きゃね。
 言うのもなんだけど、私の優等生ぶりはすぐにこんな事態を起こすものじゃない。私はいわば宿題係兼仮教師としての役割を、十二分にこのクラスで果たしていたのだ。裏で絶対、あの数学教師や元仲間がやってるよな。
 ポケットに入れた鍵に、布越しに触れる。救いがあるとすればこれ。居場所はひとつじゃない。
 いすに画鋲がついてないことを確認してから座る。クラスメイトにハブの伝令を徹底するほどのことをしたのなら、はじめられることだってするもんよ、と、思っていたのに。いすに画鋲は古典的かなー。
 机に座って、教科書を残したまま帰らない習慣の自分に拍手を送った。落書きされたり、破かれたりしたらたまったもんじゃない。私の教科書の書き込みには授業以上の価値があるんだよ。
 教科書を中に入れ、手を出そうとしたら、痛覚が反応した。
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