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明るくなる方法
第3話
 井上真理。中二。その悪名は市を超え、県内随所に響くという。
 住所は町内でも有名なお屋敷。近所のおばさん曰く、昔から住んでいて、そのさらに昔には、ここら辺一帯が井上の土地だったという。つまり金持ち。だてにお嬢さん面していなかったんだなー。家族構成は父母。これまた、近所のおばさん曰く、母親は後妻で、真理はその連れ子。前妻との間に息子がいたが、数年前に早世。年齢的には真理のほうが年上だったそうな。
 ――そんなもん。
 井上真理に関しての信用できる筋の情報は限られていた。まったくないに等しい。はっきり言って近所のおばさんの話なんて脚色一杯だろうし、義理の弟や後妻云々は本当だとしても、なんか信じる気になれないし。なんかこう、そんな重たいバックグラウンドのあるような人には見えない。
 敵を倒すにはまず、敵を知ること。勝てるかわからない勝負は勝てる勝負に変化させるが肝要と、孫子も言っていた……はず。そう思った情報収集も、すぐに行き詰まりを見せていた。
 なんてなぞが多いんだ。そしてやっぱりというか。

 ……だれも、本当のイノウエマリを知らない。

 うわさで。近所のおばさんが、先生が、トモダチが。伝播したうわさは、本物を捕らえるには難しい。とらえたようで、その実、なにもとらえられてない。それがうわさ。それが誇張。
 そんなところでは仲間だなと、むしろ同情さえ覚えるほど。私は苦痛じゃないけれど。――だってそれは、苦痛に思ったら負けだから。
 十月中旬。イノウエマリとであってから二日が経った。窓の外の景色は相変わらずで、校庭では体育の生徒が屋外バスケ。ジャージと体操着姿が半々ぐらい。少しの肌寒さ。
 窓ばかり見ているのも妙な気分になって、黒板に視線を戻す。数式が進んでいないのを確認して、そろりと後ろの席を横目に見る。
 冴島秋。あの日屋上であった彼は、驚くことにクラスメイト。もっとも、声で気づかなかったことからも歴然の通り、保健室登校組。
 ときどき、今日みたいにクラスに顔を出しても、渋々とか、嫌々という形容詞がとても似合っていて、教室に入るとすぐに自分の机に直行していすに座り、爆睡体制に入る。窓際の一番後ろは、彼専用の席と決まっていた。
 座席替えのときにいないから、一学期のときのままなんだよね。変えてもいいんだけど、……かえたってことを言うのが、みんないやみたいで。
 誰も彼とは話したがらないし、誰も彼を起こさないし。先生もそれは同じ。
「山田ーっ、まだおわらないのかー?」
 先生が笑いながら、黒板に数式を書いている生徒に言う。かれこれ五分ほど、数式が進んでいない。解が二つ出るはずなのに、出ない。だからそこ、プラスとマイナスが違うんだと、何度も心の中で繰り返す。
 山田くん、といういかにも気弱そうな少年は、顔を赤くしながら、ノートと黒板を見比べる。ささやくほど小さい声でも、笑い声が教室の一部で聞こえる。クラスの何人も分かっている状態で、先生が分かっていないはずがない。教えてあげればいいのに、これってイジメ?
 あいにくと、優等生に正義感だけは備わっていない。正義的な理想論は言うけれど、それを実行する気はさらさらない。平凡な人生に若干の正論は必要でも、生きるためには、大なり小なりのの曲解と偏屈が必要だ。
「ピンチヒッター。だれかやるかー?」
 先生が言うと、教室中が一斉に笑う。さっきよりもいっそう赤くなった山田くん。ここは私・優等生の出番かと思ってため息をついて手をあげようとすると、後ろから声が出た。
「ピンチヒッター、やります」
 教室中がしんと静まり返った。
 前に出た冴島は、教科書の問題を確認し、山田くんと一緒に彼のノートをのぞきながら、間違いを見つけ、修正していく。ものの一分と立たずに黒板を埋めた正解に、驚いたのは私だけじゃない。
 ちょっとまって。授業聞いてなかったでしょう? 説明聞いてなかったでしょう? 何で解けるのよ!!
 消しゴムのあとのにじむノートを前に、私はここ数日で何度も味わう敗北感を、新しい自分の前に感じていた。後ろの席に、寝息が戻る。先生が解説を加える。山田くんは未だに赤い顔で、冴島に尊敬のまなざしを向けている。
 知的好奇心が邪魔だった。知りたい。知りたくない。


 相変わらずのお弁当仲間。仲間とはいえないか。だって私は、彼女たちを信用していなければ、なんとも思っていないから。宿題たかる分、彼女たちは私のことを便利な女程度に思っているのだろうけれど。
 そんな彼女たちの、ワイドショーをほうふつとさせるお昼の関心は、先ほどの数学の時間での冴島秋の言動だった。

 だって中学受験して、受かってたんだよ? 遠くの超有名進学校。
 うっそー。受かったのに何で来てんの? やばかったから入学拒否?
 ありうるー。
 なに言ってんの、あいつがあっち走ったのは中学からだよ。
 じゃぁどうして?
 原因不明。
 結局分かってないんじゃんー

 冴島秋の話は興味がなかった。聞いていたけれど、耳から耳へ。中学受験したんだ、へーって言う情報だけが残っていた。
 私は中学受験をしなかった。養育費は父親が払っているんだからといって、母親はさせたかったみたいだったけれど、やっぱり無駄な負担はかけさせたくなかったから。
 小学校では、クラスの半数以上が中学受験をして、現在、多くが私立の中学校に通っている影響もあったのかもしれない。今のクラスには、同じ小学校出身の子は少ない。
 真理先輩は、昨日から停学期間にはいった。たった一日でも不快を感じた、絡まれる不安を気にせず、図書館にいけるのに、少しだけ、足が進まなかった。
 十月らしく、長袖のちょうどいい空気になった外を思い出して、窓の外を見る。曇った空。下には、小学生の集団下校。私がぼんやりしていても、それを気にする仲間じゃなかった。
 図書館、行かないとな。
 なぜかそう思っていながら、残りの時間を教室で過ごした。
 自分の座席に戻れば、渦中の人が、私の後ろで眠っていた。



 手の甲をつねって、ぐっすりの世界にいってしまいそうな自分を起こす。後ろから聞こえる寝息。あー、腹が立つ。鎌倉、執権は北条時宗のときに、元寇……何で日本史ってこんな単調な説明なのに、時間がかかるのか。もっとさくさく進んでもいい教科だ。コツコツ覚えていれば、テスト前に重労働、なんてこともないんだし、先生がんばって進めてよー
 さっきのぴりぴりとした数学とはうってかわって、のんびりとした授業。ときどき、クラスメイトの笑い声。後ろから聞こえる寝息。眠っちゃおうかなー……
 一瞬でもそう思って、甲をもう一度つねる。
 今日は塾がない日だし、さっき図書館に行かなかったし。放課後は閉館まで、図書室にいようかな。――そんな目標を立てると、少しがんばろうと思って、ノートにシャーペンを走らせることが出来た。
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