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第1話
一日の終わりには、やっぱり学校に来るんじゃなかったと後悔する。今日は予想以上の最高気温でなおさらだ。
あんなに半そでが肌寒い夜の翌日、こんなにも暑くなるなんて。――冬の厚手で長袖のセーラー服が恨めしい。セーラー服というのは機能性にかけている制服デザインだよ、ホント。古風な感じがかわいい、制服マニアに受けているのは認めよう。だがしかし、成長期の子供が着るにしてはサイズ変更が利かないし、暑さでこんなにむせるようじゃ、活発になった新陳代謝も気力がなくなってしまうというもの。――違うけどさ。
十月ですよ? 十月になんでこんなに暑いんですか。こっちは世間様にあわせて衣替えをして来たんだっての。しかし、暑いからといって、制服の袖をまくる私ではないんだな。
「青木!」
先生に呼び止められる。長い髪を二つに結んで下ろし、靴下は白い無地の三つ折ソックス、セーラー服のスカートは膝下の校則遵守。つまらないといわれようと、それで構わない。地味に目立たないように、平凡に。唯一目立つのは、この掲示板の前だけ。
「二学期中間、また単独首位か。おめでとう、この調子でがんばれよ」
「はい」
廊下を走らず、指定かばんを肩からかけて、廊下を歩いていく。希少価値さえ生まれそうな校則の申し子に、成績優秀の四文字がつけば、先生が敵になることはまずない。ちやほやされるのは日常だ。母子家庭のため、家事をしなければならなくて……なんてしおらしく言えば、帰宅部といえど内申は下がらない。
放課後の学校は、ざわめきが耳に障る。帰宅部の私は、塾がはじまるまでの少しの時間を学校の図書室でつぶし、家に帰って着替えてから塾に行く。塾のない日も、図書室に私の姿がない日はない。司書の先生も、顔見知りだ。
足元に不自然なゆれが響いて、後ろを振り返ると、あろうことか、職員室の前の廊下を駆け抜ける――あれは同級生兼、お昼を一緒に食べる子たち。案の定、職員室から出てきた先生と、数人のうちの一人が衝突して、こっぴどく怒られる。そう、これも勉強よね。
「お前ら、青木を見習ったらどうだ?」
「センセー、出来が違うから無理でーっす!」
「イノウエマリにならないだけ、十分だと思ってくださいよー」
「わかってるっつの。屋上だけは行くんじゃねぇぞー?」
おどけた口調で答える彼女たち。よく見ると、相手は数学の先生だ。私がここにいることも、知っていってる。いいのよ、出来が違うのはほんとの話。無理なのも、ほんとの話。見習われるべき生徒――それが、私。
イノウエマリは、私と正反対で、一級上。ここら辺では有名な不良だ。掲示板の片隅にある紙には、彼女の一週間の停学処分の旨が書かれていた。中学から停学くらってどうするんだろう。理由には暴行、ってあるけど、たしか、けんかで相手に全治三ヶ月とか。人づてのうわさは誇張されていくから、本当は全治一週間程度なのかもしれないな、と思い至って、口だけを緩めた。
うわさの一人歩きは誇張と同僚だ。互いに相乗効果をもたらし、片や不良、方や才色兼備とも言われるほどの優等生。
腕時計を見て、思いのほか時間が流れていた。急ぎ足で、階段を上っていく。
上っていく?
なにやってるんだ自分、と思って向きなおし、駆け下りる。顔が赤くなっているのがわかる。一年生の階は一階。職員室・図書室は二階。――なんのために、私はあの階段を上ったの? ボケるにもほどがある。中間が終わったばかりとはいえ、一ヶ月もすればすぐに期末だ。気を引き締めなきゃ。
翌日。相変わらず後悔しながら一日を過ごしている。昨日の暑さがうそだったかのように涼しさを持った今日は、濁った雲が空を覆っていた。晴れていても濁っていても、私の心はいつもはれることはありません。
昼休みは一人でお弁当もいいんだけれど、それだと先生が優等生の私を心配されるので、席の近い子のグループに入れてもらってる。いろいろとそろいすぎちゃった私は、同い年の女の子から見て、憎いんだけど近づきがたい存在らしい。いじめしようにも先生の目があるし? まぁたしかに、一年生になったばかりで問題は誰だって起こしたくないよな。
息苦しさだけが付きまとうお弁当を食べ終わると、大体お昼休みの残り三十分ほどが残っている。くっつけた机に座り続けておしゃべりしている、さっきまでのトモダチに別れを告げて、私は教室を離れ、一人、図書棟に行く。
うちの中学校は市立であるものの、図書室は校舎の中にない。図書棟という、校舎の西側にある別棟の中にある。地域の市立図書館的役割もかねているのだ。なぜなら、一番近くの市立図書館は、最寄の駅から急行で十分の道程を経なければならない。電車の本数ははっきりいって多くない。不便なところに図書館が建ってしまったため、それを補う施設がうちの中学校の図書棟だ。
昔、この図書棟は、校舎と渡り廊下みたいなものでつながっていて、行き来しやすかったらしい。それが最近では、一般市民と生徒を分けるために、煩雑な門が出来て、渡り廊下も撤廃された。犯罪が多発する昨今、生徒を守るための策だ。
早歩きで往復五分。ということは、読書時間は二十五分。堪能するためにもっと時間短縮したいんだけど、門を通るときに学生証を見せたり、ノートに書き込んだり面倒なのでなかなか縮まらない。
「こんにちは」
門にたっているボランティアの守衛さんに挨拶をして、ノートに名前を書いていたとき、よろめいたらしい人が私の腕に当たり、書いていたノートの文字がゆがんだ。小さく叫ぶまもなく、よりかかるように、その人が倒れ、持っていた大量の本がコンクリートにぶちまけられた。
「くぁ――っ」
私よりもずっと長いスカート丈。茶色い髪は校則違反。かかわりたくない部類だ。拾うべきか、読書という名の欲望に従うべきか固まったままでいると、本を拾っている女が顔を上げた。あ、眉がない。
「人が困っているなら親切をしろ、って教わってねーのかこのボケ」
ムカ。初対面の人になんて口の言い方するのよこの女。
ただ、そういわれて黙っている優等生じゃない。手近にあった本を数冊拾い、その背表紙の文字に呆れた。――少年院の悲劇。犯罪者よ、立ち止まれ。きみはどう考えるか? ……何なんだこの本の題名は。この際、中学校の本の蔵書にしてはなんだかなぁ、というのは置いておく。一般の人が使うんだし。それと。
「あんがと。助かった」
女が私の拾った本を持ち上げる。ふらついている足が、校舎のほうに向かう。だからこれで放っておける優等生じゃないんだって。
「運ぶの、手伝いましょうか?」
眉なし、茶髪、長いスカート。一昔前の不良みたいな格好に、抱えている図書は六法全書と医学大全。――わけがわからない。
さっきの無愛想かつ不機嫌そうな表情とは打って変わって、人懐っこい笑みを浮かべて、六法全書と数冊の本を私の手に乗せる。
「屋上まで、な。いやー、よかった」
笑った。
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