『初恋酔語の彼氏』 後編

後編

 初恋かぁ。いつなのかは不明。幼稚園なのかもしれないし、小学校かもしれないし、中学校かもしれないし、高校かもしれないし、大学かもしれないし。

 野次るでない。落ち着けお前ら。俺はこれから真実を語ろうとしている。


 初めて彼女ができたのは中二だけど、正直なところ、好きだから付き合ったわけでもない。告白されたから付き合ったわけで、愛想つかされた、もしくは付き合えないとかで別れた。
 おいコラ坂田、ボディタックルは反則だろ!
 男の反感? 顔に騙される方が悪いし。ああそうさ、女泣かせさ。彼女の数は両手で数えられると思うが、ホントにそんな数かって聞かれれば自信はない。最長で半年ぐらいか。最短は、……それでも一ヶ月ぐらいはあったかな。大体女の子は泣いて別れるねー。そこまでほれられてたんだって思うと、悪い気はしない。男冥利に尽きる。
 えーっと、……んで、そうか、初恋の話か。
 そう、恥ずかしい話だが、恋と言えるようなものを体験したのは今まで一回しかない。ほんと、一回。誰かっていうとーえーっとー……ヒミツってことで。
 んでだ、そいつと俺は付き合いが長い。いわゆる幼馴染というやつで、幼小中高大とすべて一緒。大学は学部学科まで……。って、ばれるじゃねぇかよ!!

 ああそうだよ。俺が好きなのは、わが学科のアイドル、尾道さくら。

 安心しろ、付き合ったことはない。ほんとにほんと。手を握ったのも、キスをしたのも幼稚園ぐらいの頃。数に入りません。それを数に入れろって……狭い男だなお前。

 で、ここからが肝心なんだよ聞いてくれ。

 付き合いがおそろしく長いと、恋愛感情を持っても、いつからなのかって定義が出来ない。初恋は多分さくらなんだろうなって、予測はつくんだけど。お互いの存在は友人とも言いがたく、あいまいにしか線引きできなかった頃もあった。お互いに、それ以上の友人がいた時期もあれば、恋人もいた時期もある。
 好きだと言っても、冗談としか思われなさそうな時間の方が長かった。女の親友って言うほうが、恋とか愛とか言うよりも、しっくり来ることだってあった。正直なところ、自覚するのが大分遅かった。
 「好き」だったのはずっと変わらなかったから、それが恋愛感情だと思い始めたのは……六人目の彼女をもったぐらいだったな。ああ、誰もしっくり来ないのは、こいつのせいかなーって。

 顔が赤いのは酒のせいだ、酒の! ったく、どんな罰ゲームだよこれ……

 で! ……それからしばらくはちょっと、自粛したけど耐え切れず、また何人かに手を出し。そうするともうさー、あっちは遊び人としか思わねぇの。女好きって。女の子のやわらかい肌やいいかほりが好きじゃない男がいますか!!

 いっておくと、二股をしたことはない分、きちんとマジメにオツキアイをしたほうだと思うんだが、そこらへんはどうかね? 諸君。
 こっちとしては、一人寝のさびしい夜のお相手なのに、気づけばあっちは彼女顔だし。本命には嫌われる一途だし。高校卒業する頃には、目も合わせてくれなくなってたのに、大学学部学科全部一緒だし。まぁ、院進学と就職とでやっと別れますが? ……どうして院進学にしたんだろ、俺……
 研究好きだし、就職する気がなかったからだけどさ。院って話したらさくら、ものすんげーあきれた顔してこっち見て、「いつまで祥子さんのすねかじってんの?」って、侮蔑したような目で言うんだぜ? あ、祥子さんって俺の母親ね。母子家庭だから、ウチ。
 まぁたしかに、否定しがたい発言だけど。
 以来全然あってないんだ。実家は本当に目と鼻の先なのに、現実って世知辛い。



 近況はそんな感じ。俺の現状? 現在進行形ですよ。初恋は現在進行形。俺は今でも尾道さくらが大好きですよ。今は彼女もいないしねー。寂しいよ。
 やー、だからこれでけっこう俺、純情なんだって。女の子で遊ぶのはすんごく仮の姿で、本命はきちんといるし、初恋現在進行形だし。オクテ? なんかいいねぇその響き! だから二股はしてねぇっつーの。


 こらひやかすなそこ!

 おい坂田、全然飲んでねぇけど、どうした? 携帯いじってねぇで、飲め飲め!

 ……俺に電話? は?

 …………………………おめ、勝手に俺の携帯……!!



「……かける?」

 電話越しに聞こえる声。
 さくら? ――だよなぁ。
「かける、今の……」
 全身が、火山になった気分だった。

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『億ドルの彼女』 前編

前編

 あぁ神様。懺悔します。
 俺……じゃない私は、今まで女手一人で育ててくれた母に恩を返す気なく、のうのうと大学に行き、就職することなく大学院に進学しました。半年が過ぎましたが、就職する気はいまだにありません。よって就職活動も、……情報サイトに一件も登録していないし、大学の就職課に出向したこともありません。
 私立の中高一貫校に通い、大学だって院だって私立。母が何も言わないのをいいことに、二十三になっても月二万のお小遣いをせびっています。もちろんバイト代の交通費込み月八万もあわせて、毎月の収入はそれなりですが、国民年金は学生控除で払っていません。控除のなくなった後も、なくなるだろう制度に金を払おうだなんて一ミリも思ってもいません。バイト代は年間百三万以内にして、所得税を払う気なんてありません。
 ――でも悔い、改めたいとおもいます。
 それなりの顔に生んでくれた母に感謝しながら、この顔で女の子をだましたことは、……何度か。でも半年ほど前、ベタぼれだった彼女に付き合ってほんのの数週間で「飽きれたバカだった」と言ってふられました。これで今までの罪は全部チャラにしてください。今のわが身は潔白です。
 不肖、私三島翔は事なかれ主義小市民でありますため、一生を平和に暮らすことが望みでございます。
 ――こんなに祈ることは人生初にして最後です、神様。……きっと。
 だからここから……数分前にいきなり「今日の晩飯を食べたくば出るな」と母に脅され、叩き込まれたこの部屋から、出してください、出させてください!! そろそろ言い尽くしがたいヒマさに気がふれそうです!!

 今日の晩飯はもちろん食べたいですが!



 東京都心を一周する線路の内側の某所に、三島祥子――三島翔の母――がその父親から譲り受けた、三代続く邸宅がある。あたりを見渡せば、高級住宅地として名高い所以を思わせる家が建ち並ぶ。しかし、風格威厳の面でこの三島邸に勝る屋敷をあたりに見つけることはできない。
 都心の宅地事情は無視した広大な敷地もさることながら、塀の間にそびえる門から本宅までの道のりに整えられた庭は、石苔や池、草木がおりなす日本庭園。夏の今は、生き生きとした緑をはせ、遣り水が涼しさを演出する。池の鯉は暑さなど知らないかのように動き回り、心を和ませる。維持費はかかるものの、ベストセラーを三年連続で出版した家主が己の収入を考えれば、むこう十年は維持できると豪語している。
 戦火で少なくない部分を焼失したものの、戦後復興で元の姿を取り戻し、いっそうの情緒を加味された邸宅は、緑多い百坪をゆうに超える土地に、平屋建ての本宅とあまり使われていない離れ・中身総額ン億とも言われる蔵が建つ。
 そんな雰囲気に似つかわしい黒塗りのベンツが、三島邸の前に止まる。晴れ晴れとした空の色のワンピースに、白のカーディガンを肩にかけた少女が、その後部座席から出てきた。短めの丈からはししゃものような足がのぞき、肌は透き通った色をしている。
 運転席からでてきた男は、なくなってしまった仕事に肩を落とした。専属運転手となった頃からの彼のささやかな夢は、お嬢様の降りるときに自分がドアを開け、その手を引くことなのだが、その仕事を完遂できたことはいまだかつてない。
 古い洋画の見すぎだと彼の友人は言って笑うが、彼にとって数少ない、胸を張っていえる夢であった。それほどに、この主人は魅力的で美しい。運転手はあたりを見回し、主人に頭を下げた。

「和中様、路上に駐車はできませんので、お帰りの……」
「三十分で終わるわ」
「かしこまりました」
 国道に入っていく自分の乗ってきた車を見つめ終えると、少女はインターホンに手を伸ばした。
「はい」
 使用人らしき女の声だった。思わぬ声に少女は驚いたが、すぐに胸をしゃんと伸ばし、名乗った。数秒と待たずに、聞きなれた声が、少女の耳に届く。ほっと胸をなで下ろすと、間もなく、その門が開いた。
 まだ若いだろう使用人の案内で、庭を横断していく。道の向こうの本宅ではなにやらあわただしい叫び声が聞こえる。少女は誰も気づかない笑みを浮かべた。もちろん、こうなることを含めて三十分といったのだから、こうでなければおもしろくない。
 歓迎されていないかもしれない家に行くスリル。あったことのない人間にあいに行くのに、少女の胸ははちきれんばかりであった。

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『億ドルの彼女』 後編

後編

 少女は本宅の和室に通された。座布団に慣れない正座をしてしばらくすると、二番目にインターホンにでた彼女が、お盆にお茶とポット、お茶請けを持って現れた。この家の主人、三島祥子だ。
 家の中といえどもしっかりメイクの彼女は、そういえば自分の中にあった「作家像」をものの見事に粉砕した人だったと、少女は思いだしたように笑みをもらした。
「何の、ご用向きで?」
 身なりはしっかりしているが、締め切りが近いのか、雰囲気がピリピリとしている。はたまた、少女が来た理由を察知しているからか。それとも、突然の来訪そのものか。
 礼儀から考えれば、積極的に用事を聞くのは、ほめられた態度ではない――と少女は思っている。ゆえに少女は差し出されたお茶を飲んだ。ひとこと、いただきますと断って。
「いいお天気ですね」
 通された和室は来客用なのだろう、開け放たれた障子から庭を一望できる。都心の喧騒が嘘のように静寂な空間に、遣り水の音が届く。木陰にあたる縁側では、落とされた影を通る風が涼しそうだ。
「暑くて死にそうよ」

「お茶、おいしいです」
「この暑い日に、よく飲めるわね」
 この暑い日にお茶をホットで出すという攻撃にも屈しない。少女は外見に似合わず強固だった。
「おかわり、いただけます?」
「とっとと話を進めろっ」
 がたんっと大きく音を立てて揺れた机にのっていた、少女の入れた三島祥子のお茶が倒れた。
 傍らではらはらしながら見ていた家政婦が急いで布巾を持って駆けつけ、後始末をする。また人がいなくなるまでの間、わずか数分ではあるものの、続いた無言を少女が破る。
「数年前の約束を」
 今まで以上に凛とした瞳に射ぬかれ、祥子は一瞬ひるんだ。「――だと思ったわ。でも残念ね、あいにく、景品はここにはいないわ」

 少女の言葉をさえぎって、祥子はかたくなな拒絶を示した。少女はその笑みの中で柳眉のみをあげ、一方で好奇心をあおられた。
「たのしみね」
「あげないわ」
「じゃあ、見つけたらよろしいかしら?」
 柔和な笑みを絶やさず、少女は控えめではない態度で言った。
「約束、ですもの?」
 少女はすくっと立ち上がり、廊下にでていく。祥子は追いかけず、今日の朝刊を見た。
 『内閣支持率過去最低』『特許料は推定数千万超え』―― 一面に躍る見出しと、写真を見れば、またためいきをついた。
 動けば身から錆が出ないとは限らない。あれには、厳重な鍵をかけている。まず開かないだろう。一抹の不安はかすめるが、あきらめるまで、身を潜めていればいい――

 祥子はそう思いを巡らしながらも、小刻みに机を叩く指の動きを、止められなかった。



 三島翔は、家で一番セキュリティのきいた離れの地下にいた。ピッキング知らずの鍵がかかった扉が一つ、母と自分の指紋でのみ開く扉が二つ、この部屋に到着するまでにあるのだ。三重の扉の向こうにあるのは金銀財宝ではなく、十人ほどが一週間分そこそこ生きられる食料と水、本とプリペイド式の携帯、小銭――そう、ここは何かあったときに暮らす部屋だ。ベッドもある。暮らせなくとも、ここに非常用のものをおいておけば何かあったとき安心、という。
 地下にあるため採光はよくなく、換気孔の働きはわずかという、何日も暮らすには不向きなつくりだ。今は空気清浄機を動かし、人の住める環境のために懸命に働いている。 三島翔は先ほどまで一心不乱に祈っていたが、飽きたのでそこらへんの本を漁っていた。母セレクトによる本は、彼的には楽しくないものばかりだ。ため息をつきながら、母が人生のバイブルといだく『孫子』を手に取った。
 大学院一年になっても、彼は小説をはじめとする本に、とんと興味がもてないタイプであった。書籍代という書籍代は大概、バカみたいに高い研究書か資料のために使っている。写真は必ずカラー、紙は上質紙という研究書は恐ろしいほどに単価が高い。 院生と学部生の間で書籍代は大きく違うというが、彼の場合、単価の高い本を惜し気もなくに買うため、学部生のころから出費は高くついている。

 そもそも本に関して、三島翔にはコンプレックスがあるのだ。

 幼いころは、小説家の息子ということだけで文章はうまくて当たり前といった雰囲気があった。もちろん小中学生のころには人並みに課題図書を読み、読書感想文を書いたと思うが、どれも賞といった賞をとらなかった。感想を書くのはあまり好きではない。登場人物の心情を考えるなど、そんなの本人しかわからないではないか。

 それより、事実を理路整然と並べた論文の方が気を張らなくて好きだった。いかにうまく説明するのもそれなりに頭を使うが、なにがあろうと結論に変化はない。結局のところ、生理的にあわなかったんだと思うことにしている。
 小説の舞台設定を忘れないように読むより、くだらない心理テスト用のプログラムを組んでいる方が、彼にとって有意義、かつふさわしい余暇の過ごし方だった。
 だが、あたりを見回しても、彼がそう過ごすために必要なパソコンの姿はない。またひとつため息をつく。何かあったとき、ここで一番快適に過ごせるのは母で、一番辛いのは自分だ――彼はそう思いながら目をつむった。



 それから、たぶん数分と経ってはいなかっただろう。翔は目を覚まし、辺りを見回した。人の気配を感じたつもりだったが。
 どちらにせよ、頭の思考回路はやたらすっきりしていた。やることはないと諦めていたはずだが、頭の中でプログラミングを――恐ろしく簡単なものになるだろうが――やってみることにした。
 学部生の授業助手をした都合上、一部のものに関しては何もかも覚えてしまっている。悲しいかな、学部生の頃はまともに点数をとれず、苦労したのだが。まず、プログラミングの言語を決めなければ、と思っていた――時だった。
 扉がゆっくりと動き始めた。横開きに開くドアから一番最初に目に入った腕は、白く細い。母のものではないと感じながら、早い迎えだなと笑んだものの、出てきた顔は想像と違っていた。母でも使用人でもない顔だ。

 男限定大学に入ったつもりはなかったが、大学に入ってからというもの、女と関わることがめっきり減ってしまった。理工学部の宿命と学友はいったか。院にはいってからは、情況は軒並み悪化した。
 数人彼女はいたが、最長で二ヶ月のつきあいしかなかった。大失恋のあとは彼女は一人としていない。イナイ歴は半年近く。開ききった扉の向こうに居る、目の前の少女はそんな翔の目から見て、彼女はそこらの芸能人より上の顔をもっていた。年は高校生ぐらいだろう。華やかではないが、清潔感のある凛とした雰囲気を醸し出している。
「あなたが、カケル?」
「そう、だけど」
 少女は笑み、部屋の中に入った。翔は母親の姿のないことに気づき、少女を見つめた。
 どうやって扉を開けたのだろう?
「祥子さん――あなたのお母さんと、あなたをいただく約束をしたの」
「……は?」
「うん、求めていた通りの男ね。平凡実直、中庸を愛する一般庶民」

 言われた言葉には言い返せない響きがある。顔がそこそこ、頭そこそこ。真ん中よりちょっと高いか程度の、至って平凡な人間であることは自分でよくわかっているのである。彼女はうれしそうにころころと笑い、翔に近づいてその手をとった。
「結婚しましょう?」
 翔は寝起きのすっきりとした頭に、黒いもやめいたものがかかるのを感じた。
「はぁ?」

 神様、――何があったんでしょうか、俺の身に。

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