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うた秘め
第3章 孤独のみらい 5
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 アルタルフにとって、歌える不幸こそあれ、歌える幸運など微塵もない。だが、目の前にいるサイガの次期領主と黙される青年にとって、歌えるか否かは、重大事だろう。本来ならば領主は、歌えなければならない。けれどもこの青年は歌えない。それをどうやってはぐらかすのか、アルタルフには大方の予想はついていた。
 少なくとも、領民は彼を次期領主としてみていたように感じるのだから、今までいい具合にはぐらかされ続けていたのだろう。そして、これからも。
 その次に、次に続けば続くほど、苦しみは続き、果ては見えているようにも思える。だがそれでも、あの男は、自らの血脈を残すことに執着するのだろうか。
「アズナにはいつ到着する?」
「風にもよるが、あと三日と言ったところか。リリアの体調も芳しくないし、はやめにつきたいが、こればっかりはな」
 セイは肩をすくめ、アルタルフの方をみた。
「おまえこそ、ちゃんとリリアの様子を見ておけよ。俺は近づけないから」
「近づいたって別にかまわないだろ」
「船員に指示も飛ばせないヤツに言われたくないな」
「一人で航行するのが初めてだからといって、緊張しすぎなんだよ、お前」
「なっ」
 顔を赤らめたセイを、――セイを朱くさせたアルタルフを、周りの船員はおもしろそうに眺めていた。
 本来この船にいるべき人物がいる。セイの右腕、ククーだ。船員への指示もたいていは彼が行い、セイはいつも進行方向を決めたり、下船してからの交易だったりを担当するのが常だ。
 ところが、彼らも驚いたことに、そのククーがナンチョウで「サイガに引き返す」と言い出したのだ。セイはリリアにつきあうといった手前、ククーと一緒に船ごとナンチョウに引き返すことはできず、今もリリアとアルタルフにつきあっている。
 船員の間ではそれを見越した上での、付き人離れをククーの方から仕向けたのではないかという噂がまことしやかに流れている。それ以外に、ククーがセイの隣から離れる理由がないからだ。
 たしかに、セイのもとでも船は無事に運航される。しかし、なにかあったらと考えると、あの頼もしい右腕の状況判断力は、何物にも代え難い。
 セイはそんな船員の考えとも戦っている。――ひとり、船上で。
 だから、些細なこととはいえ、船員から目を離せないのだ。どこで、誰が、どんな働きをしているのか。いままでククーに多くを任せてきた分、知識と目の前の動きが一致しない。フラットな動きをする船員が多いなかで、その動きが正しいのか、悪いのか、判別がつかない。
 けれども、間違いなくアズナの方角に向かっているのはわかっている。これでいいのだ。
 ただ、力の至らない自分へのもどかしさだけが日々溜まっていく。精神的な溜まっているのは自明だ。それに加味されて、今回のリリアの体調。
 唯一の幸運と言えば、アルタルフという存在が、船員に対して一種の緊張をもたらしていることだろう。でなければもっと別のところで、なにかが起きていてもおかしくはない。
 だから、不満が表沙汰にならない。一定の、どこか不気味な秩序が今、船を支配している。
 ふっと、風向きが変わる。同時に、強さも。他の船員もそれに気づいたようだ。視線が、一斉にセイの方向を向く。
「帆をはれ!」
 にわかに慌ただしくなった船上を、アルタルフは邪魔にならないように隅に寄った。欄干にもたれながら、時々気まぐれのように小島をのぞかせる水平線を眺めていた。
「うた、か……」
 歌えるか否かは、生まれついての資質。――否、ほとんど生まれる前から決まっている。それ故に、拘束される、すべて。
 リリアなど、拘束されていなかった方だ。拘束されていなかった現実に不自然さを覚えるほどに。
 奇しくも、次の目的地はアズナだ。大陸もっとも離れた島。ゆえに、シトウの秘中の秘、すべてがあると言われている。何度か通り過ぎたことはあるが、島の中央に位置する図書館のほかにも、数々の遺跡を残している島になる。
 もしかしたら。



「うーん、つまらない……」
 寝込んでから二日。寝て、少し食べて、寝てという暮らしを続けていたりリアだったが、そろそろ快復してきて、単調さに飽き飽きしていた。体を動かすたびに痛んだ関節も、今はむしろなまった筋肉を動かすときのおっくうさの方が勝っている。背伸びをすると、背まで伸びたような気分にすらなる。
 外はアズナの海岸線が見えたとかで、ばたばたしている。先ほどセイが顔を出してくれたが、すぐにまた戻ってしまった。おかげで、まだ今日は食事もしていない。
 否、窓からかすかに見える景色だけで「今日」だと思っているだけで、実は日中といった可能性もあるのだが。
 ――暇だとつまらないことに、思考が行ってしまうわ、ね。
 おとなしく接岸の知らせがくるまで寝ているかと毛布をかぶったとき、そとからの大きな爆音に意識が覚めた。

「ちょっと! なにがあったの?」
 着るものもとりあえず、ドアを開けてアルタルフを見つける。リリアは案の定部屋に戻されたが、アルタルフも一緒に入り、状況を説明した。
 ――曰く、攻撃ではない。
「アズナはなんのつもりなの? 一応、サイガ領主の船よ?」
「なんでも、いつもは事前に送っている知らせを、今回は送っていなかったそうだな。それもあって、あいてから【警告】の砲打をくらったみたいだ」
「ああ、ククーがいないから?」
 いつもそういった事務をやっているだろう腹心が乗船していないからかとリリアは見当をつけたが、アルタルフは首を振った。
「いつも、セイがやっていたらしい。今回は急な動きだったので鳥を飛ばしたそうだが、どうもそれがついていないそうだ。とはいえ、アズナの領主はもちろん、商人とも懇意だから、時間が多少かかっても上陸には心配ない――とのことだ」
「それは、そうでしょうよ」
 むしろ、ナンチョウで余り補給できなかったことをふまえれば、ここでちょっとした補修や補給が十分にできなければ、これからの航行に影響する。船員からはそちらを不安視する見方もあり、リリアにはククーのいない中でのこの出来事が、どこか作為的にも感じた。
「時間がかかることは仕方がない。最悪鳥を飛ばせ直してやりとりするそうだ。そうすれば、三日はかかる。港近辺はうろつけるそうだが、あまり勧めないな」
「あと三日は、ここにいろってこと?」
「それを勧める」
「いままでと同じじゃない……」
「食事はまともになる。それ以外にすることはないだろう? 寝ていればいい」
「……」
 セイが帰ってきたのだろうか、甲板のあたりが騒がしくなってきた。小さな窓を小突く手の正体は、おそらくセイだろう。
「おとなしくしてろよ」
 釘を刺され、アルタルフが部屋を出た。個室に一人、リリアだけが残される。

 セイは案の定、船での上陸が難しいことを船員に告げた。船の供給ができるのは、おそらく三日後。先ほど鳥を飛ばしたそうで、それが戻るまでにかかる時間がそれぐらいになるらしい。
 体調の優れない人間もいるための温情措置として、上限四人まで、監視付きでの上陸を許された。セイとリリアは町の宿で休息となり、アルタルフは――リリアにとっては、意外なことに――船に残った。船員は希望するものだけ交代で、上陸することになる。
「アルタルフは、降りなくていいの?」
「おとなしくしている方が、性に合ってる」

 返信が届いたのは、遅れに遅れて、五日後になった。
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