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第3章 孤独のみらい 6
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「ここが、アズナ領主の、館?」
船員全員の上陸許可が下りたのを理由に、セイとリリアは二人、アズナ領主の館を訪れた。セイ曰く、表敬訪問だから、格好さえきちんとしていれば、挨拶できればいいとのことだったが、そもそもリリアは、そのきちんとした格好がなかった。
洗いやすそうであることを第一に選んだ服は、どれもきちんとした、にはほど遠く、少し前まで、アルタルフを宿から引っ張り出してアズナの服屋を回り、さんざんの騒ぎだったのだ。
娼館で、年かさの娼婦たちの衣装選びや髪結いをしていた経験が、今活き
きていることには感慨めいたものを感じてしまう。紺地に白のラインを所々にあしらったワンピースに、白い花をあしらった髪留めで、髪をまとめている。装飾品らしい装飾品がなかったので、ちょっとためらいながらも腕輪だけをつけた。
セイからは上出来との評価なので、大丈夫だとは思うが。
「なんだか、サイガより、豪華ね……」
ナンチョウ領主の住まいが質素だっただけに、更に落差を感じる。サイガの領主の館ですら、中に入ったことは一度もない。門の前に立った時点で、胸の動悸がリリアには聞こえ始めていた。
「まぁ、アズナの領主と言えば、シトウの領主が集まったときその場の議事をずっと仕切っているからなぁ。そうした意味では、シトウの代表みたいなもんだな」
「そ、そんなとこの領主に会うの……?!」
「さすがに、一言もなしに素通りするのはできないからな。かといって一人では、こうした訪問はできない」
たしかに、サイガ次期領主たるセイが、アズナに訪問して、挨拶しないというのは難しいのだろう。今回は上陸に当たってごたごたした経緯もあって、なおさららしい。
「ぐだぐだ行っていたら時間が遅くなって失礼にあたる。さっさと終わらせよう」
領主の館に通されると、内装の意外な簡素さにリリアは少しだけ落ち着いた。壁の漆喰、暖炉の煉瓦をのぞけば、木製のインテリアや床、階段が迎えた。それですら、リリアにとって途方もない値段のつくものばかりなのだが、現実など知るよしもないリリアは、まだ見ぬアズナの領主に若干の親近感を抱いた。
客間に通されると間もなくして、女性が現れた。腰ほどの長い髪を一つにまとめて垂らし、体のラインがあらわなぴったりとした服を着ている。アズナで同じ服装の女性に多く会っているので、はやっているのだろうかとリリアは考えた。
奥様だろうかと、セイの反応を待つと、セイが一歩、近づいた。
「サイガ領主・ホロロークの息子、セイです。このたびはこちらの不手際でお騒がせしました」
「気にするな、珍しいことではない。女連れとは珍しいな、親戚か何かか?」
「いえ、供のものになります。リリア、挨拶を」
促され、セイに教わったとおりに名乗る。一瞬、相手の顔がゆがんだような印象を受けたが、次の瞬間にはにこやかな笑みで歓迎らしい言葉が並べられた。リリアには普段聞かない言葉の羅列で、意味がよくわからない。ただ、にこにこしていればいいというセイの言葉をかたくなに信じる。
「ひさしぶりにいらしたことだし、晩餐の用意をさせている。決まりとはいえ、上陸許可に時間がかかったお詫びも兼ねての食事にお誘いしたいのだが、大丈夫だろうか」
「……ぜひ」
セイが一瞬ためらいつつ、応えた。ちらりとリリアを見やると、それに呼応したように、女性が言う。
「ああ、同席していただいてかまわない。こちらとしては、そのつもりでの用意になるし」
「そうでしたか。」
「館内は自由にしていていい。ここにずっといてもかまわない。食事まで、しばらく待たせるが、ちょっと所用があるので、ひとまず失礼する」
簡潔に伝えることを伝えたのだろう、部屋から出ると、セイが長いため息をつく。
「……リリア、食事の作法とかは……さっぱりだよなぁ」
「ん? 食事の作法って?」
「アズナでは、単純に並べられた皿の料理を食べるんではだめなんだよ、こう、使用人が一枚一枚持ってきて」
「ああ、それなら、セイのお母さんから教わったことあるよ」
セイは目を大きくした。まさか自分の母が、リリアにそんなことを教えているとは。
「一皿につき一口か二口だけ食べればいいんでしょ? んで、体調が悪いんですかって聞かれたら、胸がいっぱいでってしおらしくいう」
「……」
娼館で一の娼婦とうたわれた母が教えたらしい作法に、セイは脱力感を覚える。それではないのだ、それでは。
「……まず、だな」
ぶつけ本番でかなり不安だが、断るわけにも行かない。
セイは賢明に、机に指で図を書きながら、リリアに作法を教える羽目になった。
「そういえば、さっきの女の人って、だれ?」
「……あれが、アズナ領主……ティーネ様だよ」
「えっ……」
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