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うた秘め
第3章 孤独のみらい 1
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「まさか、四方八方を海で囲まれて一夜を過ごす日が来るなんて」
 リリアは一人、部屋の中でつぶやいた。丸窓から見える空には遠く水平線と星の瞬きが見え、正座の知識でもあったなら、方角なり現在地なりがわかるのかも知れないが、リリアには残念ながらそれがない。
 ここは船長室……というのか、鍵のかけられる部屋がここしかなく、リリアはナンチョウを出てすぐにセイにあてがわれた。
 サイガからナンチョウまでを一日で行ったような短い航行ではないとはあらかじめ言われていた。けれども、こうして一日を海の上だけで過ごし、海の上で眠りにつくというのは、想像よりもたやすいことではなかった。
 サイガからナンチョウに行く際は平気だったのだが、簡単な昼食を取ったあとからだんだんと船酔いの症状があらわれ、夕食はろくに食べられなかった。ならば眠ってしまおうと思ったものの、今度は揺れが気になって眠れない。思ったより自分は繊細だったのかと目を回しながら体感するも、同情してくれるのはセイぐらいだ。
 とはいえセイは、体質的に酔わないらしく、この船酔いのつらさはいっこうに理解できないらしく、気の遣い方がおかしいところもある。
 だいたい、部屋にこもっていてもどうしようもない。外にいて風に当たる方がいくらか気が紛れるのに、部屋の中でじっとしていろと言うのは拷問だ。ああもう、わかってくれないのかこの辛さ。
 アルタルフは、リリアが船酔いで倒れてから一切顔を見せていない。これ幸いとどこかにこもっているのか、リリアにとって未だに、アルタルフの行動パターンは不明だ。
 ――かといって、セイも時々わからないのだが。
 船員に指示を出したりしているあたりはきちんとした、立派な大人に見えるのだが、船酔いのつらさに対する理解のなさはヒドイ。私怨だけれど。
 眠れないか眠れるかのあたりをさまよいながら、寝台に横になる。横になるといっそう身体全体が揺れている気がするものの、立っているよりは身体に安定感がある。
「……眠れない」
 ぽつり、とつぶやいても、狭くはない室内に広がっていくだけで、扉の向こうには届かない。常に見張り役なのか、年の若い少年がいるものの、リリアに声をかけてきた試しがなく、かなり孤独だ。
 ひとりぼっちだ。
「……でも寝なきゃ」
 寝返りを打てるほど広くもないので、毛布の中でもぞもぞと頭の向きを変える。吐く体力もない上に空腹がいまさらこたえてきて、体調は最悪だ。最悪だ。最悪だ。
 今この苦しみから解放されるなら、なんだってする。

 ――なんでもできるわけない、か。

 現実、リリアは一つ拒絶した。アルタルフのために歌うことを条件に一緒に旅をするようになったはずなのに、肝心の歌は一度も歌っていない。歌をききたい理由がわかったから。リリアの歌がアルタルフを浸食していくのを、彼がむしろ望んでいると知ったから。

 歌。

 リリアが知っている歌は一つだけだ。記憶がなくなる前から知っていただろうもので、名前の他に唯一「言える」ものだった。それはすぐに、歌えばいい顔をしないセイとククーによって封じられてしまったものだったけれど、ある意味ではよすがに等しかった。
 でも、歌よりも、二人の方が大切だった。そのときはきっと、そう思っていたはず。たしかに、そうだったのに。
 今は、アルタルフがいなくなってしまうから歌わない。セイとククーは、アルタルフがいなくなっても、悲しみはしないかも知れないけれど、リリアは悲しいから。口ずさむことすら、実は怖いのだ。
 そう、歌わない理由が変わっていった。――それは、「歌」を知ったからだろうか。その本性を。否、知っていることが本当にすべてなんだろうか。腕輪を見れば、読むことのできないままだった文字がちらつく。せめて、この文字を読んでみたいと思う。
 せめて、それぐらいはできるんじゃないだろうか。ナンチョウの長は読めないと言っていたが、ここに刻まれている以上、「読める」人間はどこかにいるはずだ。
 よし、セイに聞いてみようと思ったところで、身体が揺れになれたのか、酔いがまともになってきた。ついでに疲れもあってまぶたがだんだんと重たい。
 リリアはそのまま、睡魔に身を任せた。
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