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「といっても不親切ですから。私の見解をお教えしましょう」
ナグルは唐突に、顔に巻かれていた布を取り始めた。理由もわからずに首をかしげていると、その全貌が現れた。布で隠されていた線は細い。くぐもった声が澄んだ響きを取り戻して、――高い。
「この顔を、覚えていませんか?」
歳はいくつだろうか。目を細めるといくつかしわが見えるのだから、確実に年齢を重ねている女性だ。そうとは思えないのは、頬の辺りの肌がどう見ても若いから。リリアは内心負けたと思う。
だが、娼館で過ごしてきたリリアにとって、際立った美貌の女性だとは思えない。長という肩書きを負うには役不足な気さえする、凡庸な顔。
そのせいなのか、言われたように、見覚えがない。
「……?」
「ないなら仕方がないですよ。以前一度お会いしましたが、やはりあなたは過去の記憶を失っていらっしゃる」
「いつ、ですか?」
亡びは流浪していたというのなら、当然、サイガに来る以前の自分も流浪していたはずだ。流浪しているからこそ、亡びの民の現在の消息を知らない。散り散りになったその詳細を知らない。
ならなぜ、このナンチョウの長に、リリアとあうことができるというのだろう?
矛盾しているのでは?
「私はアルタルフと話しているとき、『見つけちゃいましたか』といいましたよね? ――私はあなたが、アルタルフの旅に終止符を打てると、知っていたのですよ」
リリアはナグルを見つめた。布越しでないすんだ声が、身体全身を駆け巡り、身体をしびれさせた。
身体が震える。
自分ではそんな運命を全く感じていなかった。アルタルフの目的を知ったのすら最近だ。なのに、それをずっと前から知っていた人間が、目の前に。
「あなたが原詩を知らないことも、私は知っている。それは何故か? それは私が、知らなければならない情報だからです」
謎かけのような言い方。答えになっていないと言う反論を飲み込んで、リリアはいらだちながら、言った言葉をそのまま、覚えるように口にした。この長はきっと、これ以上の言葉を応える気がないと――確信する。
ただ、確実な言葉でもって確認したいことがあった
「あなたは、私とアルタルフが旅に出ることも、知っていた?」
長は微笑んで、首を上下にも、左右にも振らない。微動だにしないその姿勢は、会話の終わりにも等しく感じた。
「私の一存だけで、すべては話せない。ごめんなさいね」
「じゃぁ、どうすれば聞けるんですか?」
「……うーん……そうね、シトウをすべて巡ったら、かしら」
「?」
地理的に、これからアズナ、その次がホクダでしょうという。船の行き先はアルタルフ任せだが、あながち間違いでもない気がした。
「おのずと答えが、見えてくるんじゃないかしら?」
リリアには、微笑む姿になぜか長の風格を感じる。――否、風格と言うよりは孤独か。
これ以上、他者を受け入れない、その絶対的な距離を感じさせる微笑だった。
「どうだ?」
テントを出ると、アルタルフが待ちくたびれたように座り込んでいた。会話を聞いていたのかはわからないが、わざわざ聞くぐらいなのだから、聞けなかったのだろう。一連の会話を思い出す。
自分の民――亡びの民のこと。腕輪のこと。アルタルフのこと。自分の運命のこと。
「なんか、はぐらかされたところもあるけど、聞けてよかった……よ?」
「ならいい」
立ち上がり、背を向けて歩き始めたアルタルフを、リリアは呼び止めた。アルタルフは顔も振り返らずに、ぶっきらぼうになんだと返す。まるでなにも取り合わないといわれているようで、リリアは胸が締め付けられた。聞いて欲しいのに。
数歩しかない距離が、遠くに感じる。
いつも以上に、声を大きくした。
届け。気持ちごと。
「私はあなたを、殺したくない」
大仰なため息がリリアの耳に届く。変わらずに背中を見つめても、視線は重ならない。振り返って、と、願っても届かない。もどかしさ。
言葉にすればかなうのだろうか。かなわない気がする。
アルタルフの顔を見たかった。けれども、自分の顔は今、見られたくない。
「またか?」
あきれた声色。わかってる、とつぶやきながら、わかってないと心がつぶやく。
「どうして殺したくないのか、私はよくわからない。ナンチョウの長は、いいことだといったけれど……私には、あなたが生きてサイガが犠牲になることも、その反対も、正しいとは思えない」
数で言うなら、後者が正解だと言うことはリリアにだってわかる。でも、数で正義を決めたくない。
セイを自業自得だといえばそうなんだろう。きっと多くの人が思ってる。でも、リリアにはそう思えなかった。
「セイが聞いたら卒倒するぞ。俺に毒されたって」
「そうかもしれない」
ため息をつくかな。そう思ってなぜだか身構える自分がいる。そんなリリアには見向きもせず、アルタルフは黙って歩き始めた。草の踏まれていく足音につられて、リリアも距離を縮めずに歩く。しばらくしてまた口を開いた。
「私は、私がどうなりたいかを見つけるための旅に出たの――あなたを殺すためじゃない。あなたを死なせるためじゃない」
ふいに、リリアの頬を涙が伝った。あまりにも唐突で、リリア自身が驚いた。足を止めてぬぐっているうちに、だんだんしゃくりあげてくる。泣き声が止まらない。涙でぼやける視界をまっすぐに見据える。
振り返らない。
「……すまない」
かすれたような声が、聞こえたか聞こえないか。言葉に重なるように、歌が辺りを包んだ。アルタルフの声ではない。以前聞いた声よりももっと高くて、もっと澄んでいる。女性の声だ。
近くで誰かが歌っているのだろう。
この近くで、リリアとアルタルフ以外に歌える人物。それは――
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