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「リリア、朝だぞー」
ぞんざいに室内に光を取り込まれ、判然としない意識の中、リリアは声の主を記憶から探した。
「えーっと、……アルタルフ?」
「そうそう。身支度できたら出発するから。まぁその前に、ナンチョウの長に挨拶だな。テント借りたんだから、ありがたく思うんだぞー」
言うだけ言って、テントを閉める。いつの間に眠っていたのか。頭を抱えて、起き上がる。眠るまでに考えていたことをつらつらと思い出す。
――だから、死にたいんだ。
アルタルフの言葉を思い出して、はっと我にかえる。わずかに気が緩んだだけなのに、ほおが雫で冷えた。いそいで両手で目を押さえ、先ほどの、アルタルフとは思えないほど明るかった彼を思い出す。……本当に彼だったのだろうか。
そう思うと、いてもたってもいられなくなった。身支度なんて考えもせずに飛び出す。案の定アルタルフはまだ傍にいて、服の袖はすぐにつかめた。
少し動いただけなのに、息が荒くなった。苦しい。
「アル、タルフ、は……」
息を整える一方で、不審そうな目で見るアルタルフをじっと見つめた。
「あなたは私に、殺してほしいの?」
アルタルフに動じた様子はない。リリアの握りしめた袖から手を静かにはがし、うなずいて、――肯定した。
「お前の歌に、身体が反応したんだ。……きっと死ねる。やっと」
「なんで? だったら、あの時、止めなければ良かったじゃない。こんな、……ずるい」
アルタルフの前で歌ったことならすでに二回ある。うち、一回は途中で止められた。そのときなら、……きっとわけがわからなかっただろうけど。
もうすでに、何も知らない仲じゃない。一緒に船に乗って外に出た。同じ島にいて、今も隣にたっている。
アルタルフが死んだら少しの悲しさを感じる程度に、リリアはすでにアルタルフを〈知って〉いる。
「お前の歌では死ねない。原詩でこの体になった以上、原詩でなければ死ねない」
原詩は強いからと、付け足すように言う。
うつむいた顔で表情がわからない。リリアはそれでも、アルタルフの顔をみた。
「アルタルフ、あなたに聞く。あなたの旅の目的は?」
昨日の夜に、初めて知った。もうすでに知っている。でも、本人の口から、直接、リリアに向けていってほしかった。
思えば、初めて聞くことではないだろうか。一緒に旅に出ようと言っていたくせに、そんなことも知らなかったことに息をつく。
言葉にしてから、ふいに心拍数が上がる。アルタルフのほうは顔色一つ変えず、リリアと向き合った。伏せていた表情を、隠していた髪を耳にかける。もう、偽りはないと言うように。
「亡びの原詩を探すこと。それをお前にうたってもらって――死ぬこと」
「私が拒否したら?」
「恩をあだで返すつもりか?」
サイガから出してくれた恩。忘れたわけではないと首を横に振りつつ、
「卑怯だ……私のほうが、抱えるものが多すぎる」
人を殺すのは、リリアだ。それも、知らぬ仲ではない人を。
「知りたいと言ったのはお前だ。今ある暮らしを捨ててでもと思ったのは、お前だ。俺の望みが歌であると知っていて、それでもついてきたのはお前だ」
「知らなかった……私の歌であなたが死ぬことを」
「そんなことはないだろう? 俺は言ったはずだ、人の生命を奪う力が、お前の歌にはあると」
悔しい。
今更になって、旅に出たことを、後悔する自分が心の奥底にいる。安穏とあの生活を享受することを、辟易していたくせに、寂しくなって、何か理由をつけて、戻りたくなっている自分がいる。旅に出て、少しだけ違う島にいて、少しだけ違う人に囲まれて暮らしただけで、こんなにも孤独を抱える自分がいる。
持っている力の、正体を知って、後悔する自分がいる。知らないまま、歌えば怒られて、こっそり口ずさんで、そうすれば満足だったあの頃に、戻りたい自分がいる。相手の目的をはっきりと知って、自分の手が汚れてしまうことに、今までとは違う自分になってしまうことに、言いようのない恐怖を抱える自分がいる。
――もういっそ、夢ならいいのに。
「明るい未来なんて、そうそう用意されてるものじゃない。我々は選んだものが、そのときの最善であるよう、努力しなければならないのだ」
知らない声だ。服装も見慣れない――ナンチョウの人間だろうか。全身を布で覆って、肌色がほとんど見えない。顔ですら。布に声がくぐもって、男か女かの判別すらつかない。低い声の女とも言えるし、すこし高めの男の声とも言えた。
「お久しぶりですね。アルタルフ、そしてリリア。ナンチョウの長として、あなた方を歓迎しませんよ」
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