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うた秘め
第2章 旅人のこどく 5
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 テントを閉じて、音を絶つ。
 毛布にくるまり、目を閉じ、耳をふさぐ。
 アルタルフの口から紡がれる、言葉の一切を拒絶する。
 セイの投げかける疑問もすべて、聞かなかったことにしたかった。

 そうするのは、私だけだと知りつつも。

 胸に重くのしかかる。
 死を望む、アルタルフの声が、今でも耳に残っている。
 表情までも浮かぶようだった。否、頭のなかで、表情なんてすぐに浮かんだ。微笑んでいるような、悲しんでいるような、よくわからない、眉根を寄せたあの表情なのだろう。
 いつも、そればかり、願っていたのだろうか。死ぬことを。旅をしている間、リリアに出会って、リリアの歌を聴いてから、リリアと旅をしてから。
 アルタルフは、歌えといった。リリアの歌が亡びだと知って、歌えといった。なぜなのか、知りたくても聞けなかった。

 だって、知りたくもなかった。

 自分の歌が人を死なせる可能性を孕んでいたことを、目の当たりになんて、したくなかった。

 ねぇ、だからなの?

 歌ってはいけないと、言ったのは――





 何年も前の話だ。
 部屋の主が変わったとき、一緒にセイも領主の館へと行ってしまった。それでもセイは頻繁に娼館〈コーラ〉に来たものだが、いつも同じ人間――ククーを伴っていた。一人知らない人間が居るだけで、私はセイがとても遠くに行ってしまったように感じた。
 ククーと私が親しくなるのに、少し時間がかかったせいもある。
 表情がよく読み取れないし、時々こっちをじっと見つめていたかと思うと、すぐにそらす。セイが楽しそうにククーと話している姿は、一番見たくないものだった。――正直にそう言って、ククーが笑い声を上げたとき、初めてククーが人間に思えたくらい。
 突然の闖入者は、私にとって人間ではなかった。
「大丈夫、なにもしません」
 いつもと同じ、慇懃な物言いだった。ただ平生と違ったのは、口元に笑みが浮かんでいたからだろう。私からククーをとらないでという、思い出すだけで赤面もののセリフが、当時の彼にはつぼにはまったらしい。
 しばらく笑って、とまらなかった。
 ついには笑いで涙まで流し始めて、私は彼を、涙を流す人間だとはじめて知った。
「私はただ、セイ様の従者であるだけです。気兼ねをする必要はありませんよ」
「あなたの目が、セイに近づくなって言っているっ」
 年上らしい、上から目線の発言が癪に障って、苛立った。難癖をつけていたのかもしれない。
「あたしはふさわしくないっていうんでしょう? セイの隣に、あたしはいちゃいけないっていうんでしょう?」
「そんなことはありませんよ」
「いいえ、あなたの目が、いっつも言ってる」
「困ったな……」
 しばらく考え込んで、思い浮かんだようにかがんで目線を合わせると、セイは自分の口に人差し指を当てた。
「私は、あなたと仲良しになりたいんです。これから歌を歌いますから、それを、仲良しのしるしにしませんか?」
「私もうたうの?」
「あなたは歌えないでしょう」
「うたえるよっ。リリア、歌えるっ」
 そうして口ずさんで、まもなくだった。
 ククーは顔色を変えて、私の歌を止めた。その歌をどこで知ったのかと聞かれて、記憶がないからわからないといったら、じっと見つめられた。射るような視線が怖くて、聞いたらすぐに泣き始めてしまったけれど。
 そして、初めて言われたのだ。
「リリア、君は、歌ってはいけない」
 なぜかわからなくて、空気が怖くて、泣いて、セイが来てもずっと泣き続けていた。
 ククーがセイに少しだけ怒られていて、違うんだと思いながら、言うことができなかった。いろいろなものが怖かった。顔色を変えたククーも、少しだけ怒るセイも。
 歌をうたえなくなったらどうしようと思った、戸惑いも。
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