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うた秘め
第2章 旅人のこどく 3
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 座礁の心配があると言う、港の整っているサイガでは考えられないような理由で、大型船から小さな船で、近づく影があった。最初は遠かった顔が近づくに連れ、リリアの顔が青ざめていくのを、アルタルフは楽しげに観察していた。
 リリアはそんなアルタルフの様子など気にする余裕もなかった。
 そう、考えれば、遠くにあるのに見上げるほど高いことがわかりそうな――いわば超大型船舶が、一介の商人の手にあろうはずがない。

 あんなものを持つのは、領主ぐらいだ。

 大量の人夫を雇い、風が凪いでいてもきちんと船上を進む、そんな船が何十とあったら、領主の権威を示せるものが確実に一つ減るほどに、海上に浮かぶシトウでは、領主が持つ船には意味がある。
 ――ああ、どうしてどうして。
 頭を抱えたリリアに、波音に足音を混ぜて駆け寄ってくる人影。感動のあまりと言う形容しかできない抱き上げられ方に、困惑よりも頭痛がする。
「久しぶりだな、リリア」
「なんっ……で」
 痛みが一度目のピークに達した。痛みで言葉が出ず、ずきずきと痛むのを、しばらくじっとしてやりすごす。そうこうしているうちに、見慣れた保護者の顔と、いまだ少し見慣れない保護者の顔が現れた。ククーはあからさまに微笑ましそうだが、アルタルフは苦笑いといった風だ。
 アルタルフはすぐに気づいたのだ。船舶を見てすぐに。
 深呼吸を何度かして、落ち着くと、とりあえず先ほどいえなかった言葉がやっとのどを通る。
「なんで、なんでセイがここにいるの!?」
「追いかけてきた!」
 サワヤカに言い放つ彼に、リリアは二度目の頭痛が押し寄せる。
 ククーとセイがいる。それは、つい昨日まであった日常だ。戻ってきた日常に対して、うれしさとは程遠い感情が湧き上がるのはよくわかっている。
「追いかけてこないでよ! せっかくの私の自立を!」
「……寂しかったんだよ」
「一日でしょう!? たった、たった一日でっ」
 セイがこちらをじっと凝視していた。抱き上げられている羞恥心がこみ上げてきたのか、身体が火照る。思わず視線をそらす。
「リリアは、さみしくなかった? 昨日今日であったばかりの男と旅に出て、リリアは、さみしくなかった? こわくなかった?」
「そんな、そんなっ、はず、あるっ、わけがっ、」


 私は、選んだのだから。


 心と無関係に、ほろほろと流れる。最初は控えめだったはずが、しばらくの沈黙が手伝って、堰を切ったようにあふれてきた。潮風のにおいがしなくなって、代わりに鼻水がたれてくる。女心でなんとかこらえようとしても、生理現象だけに無理らしい。
 ぽんぽんとセイが自分の肩をたたくので、そこに顔をうずめた。サイガにいた時ですらしなかったような――それはきっとここ数年のことに違いない――甘え方に、けれどもどこか懐かしかった。
「ついてほしければ、そう言ってくれればよかったのに」
「だから言ったでしょう、素直に言いませんって」
 なだめるように言ったセイとはうってかわって、ククーがおもしろくなさそうだ。
「こんな怪しい男と旅をするといったのにしたって、この男が仕組んでいたに違いないじゃないですか。気丈に振舞って、いったいどこが楽しかったのか。理解に苦しみます」
 本人にとっては不本意な丁寧語の相手だろう。いつもそう思っていた。リリアは聞き耳だけを立てていた。
「リリア。俺がリリアを選んだのは、命令されたからでも、義務でもなんでもない。ただ、リリアがほしかったんだ。だから、遠慮なんてしないで、甘えたいと思ったら甘えればいい」
 幼い頃のように、髪を静かになでる。伝わる感触は骨ばっていて、昔とは違っていた。
「頼りないかもしれないけれど、リリアなら守れるよ。もっと言えば、今の俺が守れるものなんて、リリアぐらいしかいないんだ――だから、さみしかったよ」

 寂しかったと正直にいえれば、いいことなんだろうか。

 嗚咽で声が声にならず、ずっとしゃくりあげていた。気づけば髪をなでているのが風なのか無骨になってしまった手なのかわからなくなって、意識を失うように眠っていた。
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