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公海上に、東西南北に浮かぶ四つの島を総称して、シトウと言う。東のアズナ、西のサイガ、南のナンチョウ、北のホクダ。サイガとナンチョウは、風に乗れば一日と経たない距離だ。
リリアとアルタルフはサイガを出港、昼を少し過ぎる頃にはナンチョウに着いた。
ナンチョウは、「緑の島」の異名を持ち、島の大半を木々が覆い尽くす。平地であるが故に、砂浜からすぐ近くに広がる森が、威圧感を持って旅人を迎える島になる。
――とはいえ、宿屋のない島に旅人がとどまれるはずはなく。
「すぐに発つ!?」
上陸してすぐ、アルタルフが船を見繕って出るぞといった瞬間、リリアは間髪入れずに叫んだ。
「宿屋がないんだ、ここは。野宿する気があるか? 飯を食い損なう可能性がアホみたいに高くてもいいか?」
「しょ、食料ならいくらかあるよっ」
娼館で用意されたものをアルタルフにみてもらったところ、携帯できる食料がいくつかあった。他にもいろいろあったが、こまごまとしたものの説明は覚えていないのはご愛嬌だ。
一度にあんなにいっぺんに言って、聞き取ろうと思ったことの半分も聞き取れなかったのだ。一般的な船酔いの体験こそなかったものの、それにしたって、他のことで頭が一杯だったからだ。――わからないことが多すぎて。なに必要なのかさえもわからず。今ならこうして明るく考えられるが、……正直、アルタルフがいなくなったらどうなるか想像さえもつかないほどに。
とはいえ、初めて降り立ったサイガ以外の島に、好奇心は必要以上にうずく。何があるのかわからないもりでさえも素敵に輝いて見える。野宿だって平気! とも言ってみるが、アルタルフは聞く耳を持たない。
「やったこともないのに平気とか言うな……ったく」
そういったきり、リリアの言動には目も耳も貸さず、港とは名ばかりの海に目をこらす。
微動だにせず、こちらをまったく振り向かないアルタルフに、腹を立ててもしょうがない。
やったことがないからといわれればそうだとしか言いようがない。けれどもそうすると、アルタルフの言ったことすべてを肯定して受け入れることになる――それはそれで、なんだか癪だ。
リリアはそっぽを向いて、砂浜を散策しはじめた。サイガには森らしい森はなく、眼前のそれはとてもとても興味は注がれる。ただしここで迷子になったら怖そうだというこは、いかなリリアでもすぐにわかほどの闇を抱えていた。
潮風に髪を揺らせていると、ふと赤いものがちらちらと視界をかすめた。近づけば、いかにも商品を並べていそうな敷き布に、壷。商人と商品が入れば完璧であろうそれらは、けれども砂に埋もれかけていた。触ってみると質感がしっとりしている。絨毯を助け出し、砂をはらってその上に座る。
風が少しだけ頬をなぜて、止まった。
打ち寄せては引いていく波。自分の鼓動と重なるような音がする。
「できないのかな」
野宿をしたことなんてない。娼館にいれば、住むに困ることはなかった。保存食なんて今日、船上ではじめて知った。
――何も知らない。
それがこんなに負い目になるとは思ってもいなかった。……否、知ったつもりでいたのだ。いろいろなことを。あの娼館の中で暮らしていて、リリア以上に娼館に居る人間は稀だったから――すべてを知ったつもりでいたから。
だから無謀だとしかるんだろうか、アルタルフは。何も知らないから。したことがないからと。
……そんな気持ちではないのに。
「大丈夫、なのになぁ……」
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