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第1章 浮浪のたびびと 11
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「ねぇ、アルタルフ」
座っているアルタルフに目線を合わせ、じっと見つめた。迷いなく見つめていると、アルタルフは笑みを浮かべた。先ほど〈滅んだ〉腕にリリアは手を伸ばす。恐怖があると同時に、それが歌の力なんだと確かに知った。
知って逃げるのは、約束違反だ。
「私は、あなたのために歌う」
アルタルフはきっと、こうなることを望んでいる。
「あなたの望むままに、毎日だって歌う。だから、私をサイガの外に出して」
「船に乗せたあんたを、売り払うかもしれないぞ?」
挑むようにアルタルフがつきつけても、リリアに迷いはなく、確信がある。
「アルタルフはそんなことをしないし、――できない」
「なぜ?」
「私の中にはずっと、秘めていた歌がある。口ずさんでいると怖くなって、途中で止めてしまう歌――それが、望みなんでしょう?」
セイが、ククーが、息を呑む音がする。アルタルフはいっそうの笑みを浮かべ、鈴を鳴らす。リリアさえも知らない鈴の音が聞こえると、しばらくと経たないうちに女将が現れた。
アルタルフの腕を握るリリアと、笑みを浮かべるアルタルフと。
顔を青くしたセイに、冷や汗を浮かべるククーに。
それらを見回して察知する事態があったのか、鈴の部屋での会話にずっと傍耳を立てていたのか、女将にあわてた様子も何もない。
部屋に居座る客に向かって、満面の笑みを浮かべ、口上を述べる。
「気に入っていただけたでしょうか」
「……ああ、言い値を出そう」
相場の三倍には当たりそうな金額を女将が言っても、アルタルフはさして動揺をせずに、腰につけた袋から、金貨を数枚取り出し、弾き飛ばす。
「私がその金額の二倍を出そう」
低い声が、部屋の外から入ってきた。
「そうしたらリリア、息子の嫁になるんだよ」
サイガ領主であり、セイの父親でもある――ホロロークだ。自信に満ち溢れた相貌は、この場にいた誰よりも雰囲気を持つ。肩を並べるものなどいようはずもない、そんな自信を醸し出している。
後ろには現在の鈴の部屋の住人・ハマがいる。
「イヤです」
「きみに、拒否権はないよ?」
睨み付けるような目線に、ククーとセイはたじろいだ。目を伏せがちに控えたハマや女将は動じる様子がなく、リリアは歯向かいながら、足が震えている。
アルタルフの腕を強く握り締めて、ここにあった真実を再び確認する。大丈夫、がんばれる。
信じなきゃ、今。
――ここで逃げたら、絶対後悔する。
「私はアルタルフに身請けされました。その要求はアルタルフに言ってください――アルタルフはきっと、応じないから」
「アルタルフ、だと?」
名を聞いた途端に、領主の形相が一気に変わる。表情と同時に、今までの泰然とした雰囲気が豹変した。縄張り争いをする時の猫のようだと、場違いなたとえがリリアの頭をよぎる。
領主の雰囲気に圧倒されながら、絶対の安心をしている自分がいる。
「お前がアルタルフか……!!」
「今の領主はお前か、ホロローク。なんだ、つまらない」
「どうしてお前がここにいる! どうしてこのサイガに来た!」
叫びが壁を刺激する。ピリピリと言う音が聞こえ、その場にいた全員の鼓膜を刺激する。
「――リリアが狙いだったか!」
「否。これは偶然だよ、恐ろしいほどに」
「リリアを連れて、どうするつもりだ」
「わかっているはずだ。この体になってから――望みは少しもない。お前こそ、この娘を息子の妻にしてどうする気だったんだ?」
ホロロークが答えにつまり、セイが不審の眼を向ける。リリアも目を丸くしている。セイにとってはリリアを望んだのは自分である自信が、リリアにはセイに望まれた確信だけがある。そこに領主の意思はなかったはずだと、二人が思っている。
「父上……?」
疑惑を、その視線で熱心に訴える息子に耐えかね、ホロロークはハマを連れ、その場から逃げるように立ち去った。
突然の登場と退場に、女将は苦虫をつぶしたような表情になった。
「ガキだねぇ、あいつは」
「女将……」
仮にも領主にと言外に含ませながら、リリアは一息ついた。
「リリア」
女将が言い、リリアは居住まいを正した。
「もうあんたは身請けされた身だ。早くここから出て行くんだね。――アルタルフも、ほとぼりが冷めるまでサイガによらないほうが良いだろう」
「お前と会えるのは、最後かもな、コーラ」
女将の名をこの旅人が知っていることに、小さくない驚きをリリアはあらわにした。
「構わんさ」
「リリア、いくのか……?」
「セイ、ごめんなさい」
言葉少なに。
語れることは、何もないから。
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