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うた秘め
第1章 浮浪のたびびと 5
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「ああもうまったく! こんな忙しい時にいなくって、なんのための見習いなんだか!」
 いらだちながら女将があたりを見回した。客のいない――そんな時間のほうが多い――娼婦達は料理から部屋の仕度から自分の仕度から、すべて各々の為すべきようにやっている。今日確実に来るであろう御仁のために娼館がてんやわんやするのは毎度のことだ。娼館〈コーラ〉の存在意義はその御仁にこそある。娼婦達の地位身分も同じことだ。
「ハマは?」
 筆頭となる娼婦の名を上げる。そういえばアルタルフを客に取らせておいたなと、女将はタイミングが悪いと毒づいた。予定ではもっと遅い帰還のはずだった……アルタルフには別の娼婦を当てようと、一番お呼びから遠い娼婦を考える。
「戻りましたー」
 タイミングよくリリアが戻ってきた。肝心な時間には間に合ったようだ。
「リリア!」
 女将に叫ばれ、リリアは罵声に備えて肩をすくめていた。罵声は来なかったが追い立てるような切羽詰った声が届いた。
「鈴の部屋にハマがいるから呼んどくれ! 客には代わりに――チョウ、行きな」
「チョウ!?」
 驚いたのはリリアのほうだ。チョウはリリアのだいぶあとに入ってきた同い年だが、まだ見習いのはずだ。
「先日花に昇格したんだよ」
 リリアの驚きを他の娼婦が補完した。ここで花といえば一人前のことだ。買われた時に刺青される花が、半人前の時には半分、一人前になると半分描かれることからそういわれる。
 リリアにも二の腕に花はあるが――花弁は四枚。半人前の証拠だ。
「西の部屋にいるから呼んで、鈴の部屋までね」
 女将が念を押すようにリリアと目をつきあわせた。リリアは顔を上下に振って、足早にその場を去る。
「……なにさ、恵まれているくせに」
 リリアにチョウのことをいった娼婦がポツリとつぶやく。それに呼応するように、あわただしく身支度を終えて「来客」への準備を追えた娼婦がまわりに集まる。
「嫉妬しないの。アレは特別なんだから」
 やや年かさのその女の表情は余裕に満ち溢れ、一方の女は顔に不満ばかりが漂う。
「なんだって……若に気に入られているからって」
「言い方間違えたねぇ。若がいっとう、好きな娘だからだよ」
 面白そうに、からかうように。まるで客に対する口ぶりに、新入りは気に食わない。そもそも自分よりここにいる期間が長い年上で、客の相手をほとんどしたことがない、そんな娼婦がいることにオドロキだ。
 といっても自分も、ここに売られたことしかないので他の娼館など知らないが。
「それだったら別に、私だって……」
 年齢も大して変わらないどころかむしろ年下で、彼女よりも美しい自負が彼女にはあるようで、ベテランはそんな彼女に対して微笑むしかない。
「ま、こればっかしは運だからねぇ。イイ人とめぐり合うまでがんばるしかないよ。たまたまあの子は最初に出会って、それが大物だったってだけさ」
 新入りに、この娼館〈コーラ〉の存在意義は理解されにくい。
 ここはこの島のためにあるのだ。どんなに客が少なく、どんなに娼婦が余っていようとも、そのことに意義があるこの娼館で、生きることは難しい。辞めることも難しいから、その選択もない。
 ――自分にもそんな時期があったと思い出す。つい数年前まで、彼女はハマがうらやましかった。ただ与えられると同時に背負うものを考えると、選ばれなかった気楽さと言う幸運を、手放しがたいものだと思える。
「私はそう、思えません」
 強い口調できっぱりと言う。これもこれでありだろう。
「そうだねぇ」
 大人らしい曖昧さでもって、彼女は答えた。


「チョウ! お客さんだって」
「リリア、呼びにきたの?」
 すでに別の誰かから話を聞いていたらしいチョウは、身支度をきちんと済ませ、部屋を出ようとしていた。他の娼婦にも仕度があるため、化粧道具や衣装があたりに散らかり、戦場の様相を呈している。
「うん、すそ、持つよ」
「平気へいき。これぐらい」
 控え室から客の部屋に赴くときには、丈の長いヴェールを頭からかける。売約済みの証拠として。床の石や紛れ込んだ土で汚れないようにヴェールを持つのも、見習いの仕事の一つだ。
 ただ頭にかかっているだけなので、自力で持つ娼婦のほうが多い。
「チョウ、いつの間に花になってたの?」
「リリアが気づかなかっただけで、半年ぐらい前からかなー」
「そんなに!?」
 本当に知らなかったのという返し方をされると、リリアも返答を詰まらせる。本当に知らなかったと言い返すのも、なんだかしゃくだ。キャリア的にはリリアのほうが勝り、いわばチョウは彼女の後輩。
「ま、私はうれしいけど。これでやっとスタートに立てたわけだし。リリアみたいな役回りは、私には無理だわ」
「……そうだね」
 自分もいやだとは到底いえない雰囲気のまま、目的地に着く。鈴の部屋は文字通り、その出入り口に鈴がいくつもつき、部屋の鍵にも鈴がついているからだ。主に長期的に滞在する客のための部屋で、鈴を使えば客が娼婦を呼び寄せることもできる。便利な部屋だ。
 鈴ごとに大きさが異なり、音色も違う。娼婦の呼び出しを告げる一番左端を鳴らす。
「はーい」
 あわただしさで感づいていたのか、ハマの格好に乱れたところは見当たらない。リリアと一緒に来たチョウを見ると状況を察したのか、いったん部屋に戻ってぼそぼそと話したあと、また戻ってきた。
「じゃ、女将のとこにいけばいいんだね?」
「私も一緒に……」
 リリアの口に人差し指が当てられる。美人だから決まるしぐさだ。
「いいの。それより、お客さんの相手してあげて」
「チョウがいるので、平気だと思いますけど……」
「女の子は多いほうが良いでしょう」
 そういいきられると、どうしても逆らえない美女の笑みに、鈴を二回鳴らせて二人で部屋に入る。リリアは客を取れないことを承知なのだろうかと思いつつ。
 室内は薄暗いうえに、逆光であまり客の顔ははっきりと見えない。こちらの顔は良く見えているだろうなと思いながら、リリアとチョウは客に近づき、頭をたれた。
「お相手をさせていただきます、チョウと申します」
「見習いの、リリアと申します」
 見習いに勝手に手を出してはいけない不文律があるので、そういっておくことは確実なけん制だ。そうして頭を上げると、リリアは目を見開いた。
 少し逆光で見えにくいが、――この客は。
「リリア、か」
 さきほどリリアに歌を求めた――アルタルフだった。
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