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うた秘め
第1章 浮浪のたびびと 3
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 誰も気づかないような裏道で、小さな声で歌う。リリアの小さい頃からの習慣だ。
「リリア!」
 ときどき、そうして気づく人がいる――娼館に引き取られたときからの付き合いである、セイだ。
「今日はどこから帰ってきたの?」
「アズナまでね。一月ぶりぐらい? 変わらないなぁ、リリアは」
 髪の毛をくしゃくしゃとなでられ、リリアは笑みを浮かべる。いつもと変わらない笑みを浮かべるセイが、リリアは一番好きだ。
「セイ様」
「ククー、来なくてもいいのに」
「そういうわけにもいきません、お付きですから」
 ククー――クールクーリは、セイの付き人だ。セイがどこに行くにも付き従い、彼を護衛する役目をになう。
 セイはその姓をサイガと言う。サイガ島領主を兼ねる、サイガ家の当主嫡男にあたる。本来ならばリリアは口もきけない身分差になるが、セイの出自のために実際は異なる。というのも、セイの出自は表面上正妻だが、その実は妾腹にあたる。
 正妻の間にできた子供が幼くして息を引き取ってしまったため、娼館コーラで生まれていた妾腹の子供、セイが素性ごと入れかわった。セイというのはなくなった長男の名前で、リリアが一番最初に読んだ彼の名前は、カシクと言う。
 素性がばれてしまうと差しさわりがあるので、もうほとんど、その名前でよんでいないが。
「さっき歌が聞こえた。いい歌だな、リリア」
「ほんとに? ありがとう、セイ」
「お前、俺があれほどうたうなと言ってるのに……」
「誰がククーの言うことなんか聞くもんか! セイだってすきだって言ってくれてるもの!」
「いい歌だって言ってるのをどうしたらそこまで曲解できるか!?」
 曲解なんかじゃないよね? と、リリアがセイを見上げる。セイは微笑んだままだ。困ったように。
「……セイも、やっぱり私が歌うのはいや……?」
 なんどもククーに言われている。セイも、ほめてくれてもまた歌ってとはせがまない。歌ってほしくないのだと本能的に知っているから、歌いたくなったら、セイが島にいないときに歌うのだ。
「そうじゃないよ、リリア。でもあの歌は、そうめったに歌ってはいけない」
「どうして?」
 難しいところだね、と困ったまま微笑む、そのセイがリリアは苦手だ。何もかも悟ったように、自分を犠牲にする。だれかのために、自分を犠牲にするセイが、リリアは時々苦しかった。自分も守られていることを、よく知っていた。
「リリアの歌は好きだよ。でも、リリアの持つ、リリアだけの歌は、心に秘めておかないといけないんだ。リリアを、守るために」
「はい……」
「いい子だ、リリア」
 頭をくしゃくしゃに、もう一度される。困ったような眉間のしわは消えたけれど、まだ我慢してるなっていうのは、リリアでもわかった。歌わないように、気をつけよう。
 中毒のようにまた、歌ってしまうのかもしれないけれど。
「セイ様、そろそろ、……」
 ククーが海のほうを見ていった。
「どっかいっちゃうの?」
「これから父上が帰られるんだ」
「ホロローク様が?」
 娼婦といえば扱いとしては一般庶民よりも下になる。領主など身分的には雲上で、その人が島の外に出かけていようが関係ない。――身分的には。
「じゃ、早く帰らないと」
 現実は違う。娼館〈コーラ〉は代々、サイガ家の当主が通う傾向にある。シトウ間における信教による倫理協定で、一夫一妻制が厳密に決められているが、サイガ家はほんとうの正妻の子供が当主となった例は少ない。子供が生まれにくく、幼年での死亡率が高いのだ。
 ホロローク自身は正妻腹でさらには弟もいるが、先代当主は妾腹でほかにも娼婦を囲んでいたが、生まれたのは息子が一人だった。サイガ家が娼館をさしずめ王族の後宮のような使い方をしているのは一部では公然の秘密だ。
 娼館が消えない、理由でもある。
 当主が島に帰ってきたとなれば、大変だ。準備と言うものがある。
「じゃ、またね、セイ。ククー」
「リリア!」
 セイともククーとも違う声がした。
 さっきの客だ、と思ったときには腕をつかまれていた。
 焦って走ったのか、目深にかぶっていたはずのフードは取れて、その顔があらわになっている。思えば顔もわからなかったのに、どうして私はこの人だとわかったのか、リリアは不思議でならない。
 額には汗が浮かんでいる。目の下にはクマも見えた。
「さっきの歌を歌っていたのは、お前か!?」
 怒っているのだろうか。憤っているという言葉がはじめてよくわかった。ためてためて、爆発したような怒り方だ。憤怒。
 あっけにとられていたセイよりも先に、ククーが男の手から強引にリリアを離した。自分の胸に抱きこむようにして。腕の中にいるのは嫌悪感で、リリアはすぐにククーを突き飛ばし、セイの元に逃げ込んだ。いきなり何するんだククー。
 セイは小声で大丈夫かとたずねる。リリアはセイの腕にぎゅっとしがみついて、震えをこらえながら大丈夫と笑みを浮かべた。さっきは平気だったのに、離れたら、怖くなった。
 ――アルタルフ。
 声をかけた客だ。ハマ姐さんが相手をしていたはず。何でここにいるんだ?
「うたを、うたえ」
 低い声が言い放つ。セイとククーの緊張が、リリアにも伝わっていた。
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