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「よくもまぁ、いけしゃぁしゃぁと……」
穂波様が立ち退かれてわずかな時間のあと、部屋には高穂様がいらした。突然の来客で、屋敷の主である堅塩媛さまは臥せっていらっしゃる。となると、高穂様の登場は避けられず、春日様の目的はそこにこそあられた。
苛立ちと言うかお怒りと言うか……まぁあまり良いとはいいがたい感情を顕わにした高穂様の態度は明白で、言外に帰れと仰っていた。お母上の手前直接声に出せないのがもどかしそうに。
その態度に観念した春日様は、辞去の挨拶を堅塩媛にされた。立ち上がり、厩のほうへと向かう。侍女に付き添わせても非礼になるため、これが最後と言い聞かせながら、高穂様はそのあとについく。
馬の背をなで、調子をみていた春日様が、ふいに口を開かれる。
「うまく言い出せなかった。自分はちゃんと幸せになったから、そろそろあの二人も幸せになって欲しい。特に高穂は、あの調子じゃ一生嫁げなくなってしまう。もう適齢期だって過ぎてしまうのに」
「縁の姉上の、真似ですか?」
「よくわかったね。私には才能があるかな?」
「茶化さないでくださいッ」
「はは、とはいえ、縁の言うことも必然、道理がある。父上はお前に嫌われたくない一心で無理強いをしないようにしていたけれど――我が侭はそろそろ潮時にしないか」
「私といえど、父上の命令には逆らえません。すればいいのです。喜んで嫁ぎましょうよ!」
命令されなければ嫁がないともとれる発言に、春日は苦笑いを浮かべる。
「嫌われたものだな」
「過去の所業を悔いるがいい」
「なにかしたか? お前に」
「いいえ、私には」
手綱を握ったまま、馬の背には乗ろうとしない春日様を、高穂様はじっと見つめられた。問い詰めるような気迫あるその目線を、春日様は目を伏せて避けた。
「……あのときのお前は、もう、わかる年齢だったか」
懐かしむような口ぶりに、高穂様は苛立ちを隠せない。春日様は口元だけで微笑んで、口だけで昔を懐かしまれた。
「過ぎたことだ」
「過去あってこその今です。――過去は決して、一瞬のことではない」
そう高穂様が言うや否や、春日様は馬上の人となった。恨めしげに見上げる高穂様の頬に手を寄せ、目を細められた。
「似たな、お前も。縁に。穂波はあんなにも父上に似たのに、どうして縁やお前はそろいも揃って母親似なのだ。まるで双子のように似てどうする」
「この顔で、あなたは存分に苦しめばいいのです」
「きついな」
春日様は頬から手を離されると、手綱を握り直し、はらった。栗毛の馬はゆっくりと歩き始め、門を出ていく。高穂様の後ろではたいしたもてなしもできず、出迎えも見送りもろくにできなかった侍女たちが阿鼻叫喚の絵図で、悲嘆にくれていた。
帰られると侍女から聞かされ、慌てて出てこられた穂波様は、最後、剣呑な目つきで春日様をにらまれる高穂様の表情を見ることしかできなかった。
ひとりぽつねんと厩の戸の前に佇んだ高穂様は、頬に手をあてられた。まめで皮膚の堅い、節くれだった手を思い出す。その手にすっぽりと自分の頬が覆われ、目尻にまで指の感覚が伝わる。
そんな一瞬のふれあいを、高穂様は思い出されていたのだろうか。
先日の非礼のお詫びにと、異国からきたという菓子を持参して、縁様が登場された。出かけた高穂とは反対に、体調が優れずに床に張り付く羽目になった穂波様には、いいお話し相手ができて、うれしいことこのうえなかった。
けれども、うすうす感づいていた、高穂様と春日様の不和。昨日目の当たりにした光景とともに、その原因が自分のあずかり知らぬところにあることがなんだかもやもやして、そこに機会よく登場された縁様に、思い切ってたずねられた。
「どうして義兄上と姉上は、仲がよろしくないのかしら?」
「どうしてそう思うの?」
「なんだかこう、……よくない感じ、というか」
「よくない感じ? 雰囲気だけで仲が悪いと決めつけてしまって、いいのかしら?」
「縁の姉上、いじわるはよしてくださいっ」
「あらあら」
縁様と穂波様の間では一回りも年が違うのだから、無理もない。
もってきた菓子を穂波様の持つ懐紙に載せながら、縁様はふっと目を細められた。
「私の想像が、違っていたら、恥ずかしいから言えないの。それにね、高穂は、あなただけには、知られたくないと思うかも知れない」
「なぜ? 私が、子供だから?」
「そうではなくて。そうね、きっと、唯一同じ腹から生まれた妹だから、じゃないかしら」
「理由には聞こえません……」
「そうかもしれないわね。けれどもほんとうに、私たち、大王の娘にとって、それはとても大切なものよ。母を違えない、あらゆる意味で本当の兄弟は、何者にも得難い……」
「縁の姉上には、二人、弟がいらっしゃいますけれども?」
「そうね。でも、男は争ってしまうから。同胞の姉妹というのは、争いからもっとも遠い。それだけもっとも、得難くて、だからきっと、愛しいのね」
一瞬、瞳に寂しさを宿した縁の、穂波は手を握った。
「だ、大丈夫です! 私は縁の姉上の、味方ですから! なんといっても、母上同士が同胞の姉妹なんですから!」
「あら、そうね。でも、私と高穂が仲違いしてしまったらきっと、穂波は高穂の味方ね」
「う、あ、で、でもっ、争わないって……」
「……そうね、争わないわ。私たちは何があっても、もう、争いたくもない」
「あったんですか? 姉上と、縁の姉上が、」
「それは内緒よ、穂波」
ご自分の懐紙に載せられていた菓子を一つ、穂波様の懐紙に載せる。まるで口止め料のような菓子に、穂波様は問いただすのをやめてしまわれた。
――聞いてはいけない領域なのだと、勘づかれていたのかも知れない。
辺りを見回して、部屋の外を見やると、高穂様が外に出て行かれたのが当たり前のように感じられるほどの晴天だった。そろそろ暑さが本番になる。となると、雨期も近いはずなのだが。
「今年は雨が、あまり降りませんね……」
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