サイトトップ>『飛鳥茶話』目次>
お屋敷に戻られると、母上である堅塩媛様にすぐ客間に呼ばれた。そこには、お二人の同母兄である竜胆様と、その正妃でありお二人にとっては義理の姉でありながら、異母姉にもあたる、縁様がいらっしゃった。
お二人がこうしてこちらのお屋敷にまでお越しになるのはよくあられることではあったが、……まさか、夕餉まで一緒というのは今までで一度もなく、お二人の皇女様は少々困惑気味であられた。
夕餉の席ではいつもどおり和やかであったが、お二人は緊張気味で、いつものような弾んだ会話は多くはなかった。
「そんなに硬くならなくても良いのよ、高穂、穂波」
笑顔でおっしゃられた縁様のお言葉だったが、普段から兄妹とはいえめったに顔を合わせない竜胆様がいらっしゃったので、困惑というより……恥らっていらっしゃったのか。そのあとに続くお言葉は無く、いつもの姿をよく知る縁様は、困惑を隠さなかった。
「私が邪魔かな、縁」
「そんなことないわ……よ、ね? 高穂、穂波」
「え、うぁ、はいっ!」
「姉上……こんなにもいきなりでは、私も穂波も心の準備が……」
「早馬を走らせて、昼頃には言っておいたのだけれど。二人はもう遊びに行ってしまったから。今度からは一日前には言っておくわ」
縁様が笑いながら快活におっしゃった。
縁様の母君と、二人の母君は姉妹である。高名な豪族の娘であられるお二方の美貌は歌い尽くせないほどで、その娘になる縁様・高穂様・穂波様はその美しさを飛鳥の三璧とも言われた。
由来は、璧のように美しく飛鳥の宝であると、大王が臣下におっしゃったということだ。
結婚相手が決まっていないのは穂波様だけだが、高穂様は結婚相手が生まれたときから決まっていながら、いまだ結婚なさっていない。
大王は三人が生まれたとき、最高の結婚相手を用意しようと約束なされた。それは皇女の母であるお方の出自によるところが大きく、ほかのお妃とはまさに別格。
縁様に、温厚で歳が近く、異母兄弟である竜胆様がお相手になる経緯はすんなりといった。
王族は王族と結婚するのが慣例、臣下に賜わすなど考えられない時世柄、大王は悩んだ末に高穂様のお相手をお決めなさった。年齢的な釣り合いを無視されてでも、血統を重んじて。
ところが、高穂様はその結婚を拒む。それも最近になってからその態度が顕著に表れ始めた。高穂様は心内、縁様と竜胆様は結婚の打診に来たのではないのかと思われていた。
「春日の兄上?」
竜胆様、縁様と夕餉をともにした日から四日後。普段と変わりない、穏やかな笑顔で、今度は春日様が穂波さまの前に現れた。春日様は高穂様、穂波様の異母兄で、ご存命の皇子の中ではもっとも年嵩、常日頃から次代の大王と目されている人物だ。
いらした理由は、穂波様と高穂様の母君であられる堅塩媛が体調を崩されたための見舞いと言う。穂波様は字面どおりにその訪問の意図をうけとって、お部屋への案内を引き受けられた。突然の訪問であるから、手を煩わせないようすぐに帰るとのことであったが、まさか次の大王ともいわれる人物に、茶や菓子の一つも出さないと言うわけにはいかない。
いくらいきなりの訪問だったとはいえ、いやだからこそ、手ぶらで返しては面目が立たない。そう思ったお屋敷の侍女はてんやわんやで、本来なら部屋の奥でじっとしているはずの穂波様が案内をされるほど――混乱を極めていた。
穂波様は緊張した面持ちで部屋の案内をされていた。そうした心持ちを知ってか、春日様はやんわりとした口調で、穂波様に話された。
「穂波、久しぶりだね。元気だったかい?」
「はい。ここ最近は、よく外にも出ています」
そうか、と春日様が微笑むと、同じように穂波さまも笑った。
春日様は思い出したように、袖から細長い紐を差し出した。人の指ほどの太さで、穂波様の肩幅ほどの長さの紐。示し合わせたかのように、穂波様がその日着ていらっしゃった服と同じ、浅葱色。川草よりも深い色のそれを、穂波様はおずおずと受け取った。
「どうする、ものです?」
「髪を結ぶのだよ。ここ最近、よく外に出るのだろう? 髪を結べば、動きやすい。編み込んで結い上げるのは時間がかかるだろう」
そういうと、紐をもう一度手に持ち、穂波様の髪をひとつに結ぶ。長い髪が一つの束になる。童のような髪型になってしまうけれど、と。
「ありがとう、ございます……」
穂波様の声を聞くと満足そうな笑みを浮かべ、春日様は何事もなかったかのように、案内された部屋に入られた。閉められた戸越しに、ありきたりな言葉のやり取りが聞こえはじめた。春日様へのもてなしを持ってきた侍女が現れ、場を任せると、穂波様は自分の居室に戻られた。ついてすぐ、穂波様は髪を解かれた。
そして、手を、紐を、じっと見つめられていた。
サイトトップ>『飛鳥茶話』目次>第2話