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飛鳥茶話
第1話
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 そこは、ひっそりとしていた。
 雨が降ればつぶれてしまいそうなほど、粗末なわらと木の骨組みでできた住み処。それは村の北にある森に、隠れるようにたっていた。木が生い茂った森で、木がそこだけを避けている。鳥から見れば、そこだけ緑の草と茶色いわらが見えるんだろう、円形に。
 けれども木と同じように、動物ですら、あまり近寄らなかった。
 そんな場所に、およそ場にはそぐわない色鮮やかな衣服をまとった少女が、供を連れてそこに入っていった。時間はまだ、太陽が天高く昇っている頃だけれども、住居の中となれば、焚き火ほどの大きな火が欲しいほどに薄暗い。
 現実は、粗末な細いろうそく一本。それも、足下を照らすために、住み処の真ん中にぽつんとそびえるだけ。
 そうした状況の中、不平の一つも言わないのは、その薄暗さの持つ不思議な魅力を、少女が十分理解していたからだ。とくに、これからの時間の過ごし方においては。
「今日はどんなお話なの、赤羅」
 あから、とよばれた老人は、薄明かりの中、衣服に織り込まれた金糸でわずかな光を反射させる少女を見やった。歳は十四と言っていたか。ここいら一帯を治める貴族の娘だが、相当な変わり者であることで有名だった。
 物入りのときに時々寄る村で偶然出会い、次第にこんな仲になっていた。こんな仲と言ってもなんてことはない、ただ話をするだけだ。せがまれるようにして、彼女が来た日に話を紡いでいく。
 少女がそれを、真実と思っているのか、絵空事に思っているのか、赤羅がたずねたことはない。始終笑みを浮かべながら、にこにこと話の続きだったり、新しい話だったりをねだる。時には思ったとおりに、「つまらないから別の話がいい」というのだ。奔放なこの少女の、行く末を案じるのは老体ゆえか。
「のどをぬらすものがなくてはなぁ」
 そういうと、来るたびに顔の変わる少女の供が、竹筒を赤羅に渡す。栓を抜いて流し込むと、久しぶりにのどの焼けるような感覚を味わう。酒としては下の下だが、贅沢とは程遠い生活を送る赤羅としては、久しぶりの美酒だった。
 ほどよく気分が高揚したところで、咳払いを一つ。あぐらをかいて静かに目を瞑り、口を開いた。
 その物語が真実なのか、知るのはただ一人。



 ここは飛鳥。
 山々に囲まれ、大王がまします地。大王には多くの妃と、その子供であらせられる皇子と皇女がいらっしゃった。山に登ればあたりを一望できる、のどかなくに。
「姉上!!」
 地に着かない、腰ほどの豊かな髪を揺らしながら、高穂様にお近づきになったのは、その妹君、穂波様だった。
 お二人は同じ母君・堅塩姫から生まれた姉妹で、たいそう仲がよく、空の澄んだ日には、たとえ雨上がりでも近くの丘まで遊びに行かれた。この日のように。お供は遠くからお二人を見守るだけで、二人を邪魔するなどという、無粋な真似はしなかった。
 母上似の顔立ちに、大王譲りの勝ち気な瞳。二人はよく似ていらした。そして、よく一緒にいらした。比翼の鳥。連理の枝。――男女の仲ではなくとも、そうたとえられたのは、まさに。
 顔は似ていらしても、性格は似ていらっしゃらないのが、魅力だったのだろう。
 静かな、落ち着いた動作と声。朝廷に仕える博士と肩を並べられるほどの知識をお持ちである高穂様と、明るく活動的でいらっしゃる穂波様。時として、高穂様が病弱と思われがちだったが、穂波様の方がお体は悪く、床から離れられない日も間々あった。
 そのたびに外に行くのを大王である父君から禁止されたが、今日のように、すぐに姉上と一緒に外にお出でになられたのだった。
「ほらっ、きれいな花を見つけましたのよ? 何かしら……姉上、分かります?」
「何処にあったのかしら?」
「内緒です。姉上の御髪に飾れたら綺麗だと思って」
「そう?」
 高穂様が髪飾りに花を二輪刺すと、高穂様の美しさも際立った。穂波様はそれがうれしくて溜まらず、思わず高穂様に抱きついた。穂波様が自分の胸から腰元で抱きついているのを見下ろされながら、ゆっくりと頭をなでる。
 高穂様は穂波様を慈しまれていた。母上である堅塩媛もお二方を愛されていたが、それにも増して、お二人の絆は強いものがあられた。
「そろそろ日が暮れてしまうわ。帰りましょう、穂波」
「はい、姉上」
 手を引かれ、護衛のものに近づき、馬へとまたがった姫君たち。
 姉妹はただゆっくりと、自らの時間が流れゆくものだと確信して、日々をお過ごしになられていた。
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