「きっちりやる」という言葉の意味を、もう一度かみしめて、「きっちり」やってほしいと……思うんですよね。
自分の体験上、「仕事をきっちりやろうね!」と後輩に指導する女性ほど、仕事がきっちりされていない印象。「きっちり」っていうことで、「最終到達ライン」をぼかしているために、こういうことが起きているんだと推測する。
たとえば社内で書類を提出すること一つとっても、「自分のはんこを押すまで」「上司のはんこをもらうまで」「指定部署に提出するまで」「書類が上席のはんこすべてをもらうまで」……と、いろいろと段階があるけれども、「きっちり」と言ったときに、「自分のはんこ」なのか「上司のはんこ」なのか、全くわからない。
私は「指定部署に提出するまで」を今の会社では最終到達ラインにしているけれども、前の会社では「書類が上席のはんこすべてをもらうまで」が最終到達ラインでした。戻ってくるんだよ、書類は……。今の会社に入社して、書類の最終形態、コピーでも全く自分の手元に残らないのがとても不思議でした。
どこまでをどう回して、どこまで自分が関われるのか、仕事量として自分が回せるのは、どこまで関わった場合なのか。っていうのを常に考えて、行きすぎたら戻して、足りなかったら進める、というのが、自分の尺のはかり方です。かなり地道ですけど(笑)そうでもしてやらなければ、教えてくれる人いないからねえ。(弱小企業勤務)マニュアルもろくにないので、「とにかくやって」覚えるしかない。
まぁ、わりかし段階は経て、定時退社が困難ではなくなりましたが、おかげで上がった「信用度」が逆に重いというパターンに陥りつつあります。新人が信用できないのはわかる、でも、そこで新人に「経験」をさせなかったら、新人は一生「下っ端」以下になるし、できるべきこと、「最低限」のことすらもできないままになってしまう。新人の尻ぬぐいは負うべきリスクで、それをいやがって熟練者へ仕事を割り振って、熟練者から仕事の優先順位を割り振られたときに低くてかんしゃくを起こすのは、私は贅沢病だと言いたい。
仕事がある程度見えて、「重要度」「緊急度」で仕事を片付けるようになれたと思う。ある程度の仕事について新人にやらせたら、と思うのは「代替を育成すべき」であると考えるからであって、その仕事自体を放棄したいからではない。そこのライン、意図を話はするけれども、結局仕事はこっちに回ってしまうので(苦笑)育たなくて、もう、代わりがない状態になりつつ。微妙に。
時間が時間なので散文になりつつ。
「きっちり」仕事は本当に難しくて、新人に仕事を任せることは、放棄ではないんですよって言う主張でした。
後退覚悟で作業していたものの、HTML化で手こずって今日無理でしたすみません……
今週ぐらいにはいけるかな~と思っています。希望的観測かも知れませんが、今週やらなかったらもう夏になってしまう……
基本的に愚痴なんですけど、twitterでのうかつな発言がすごい誤解を生んでいると思うので、(誤解を解こうという趣旨はほとんどないんですけど)補足的に。