私の父は浩介の兄弟

 軽やかな晴天と、大安吉日。決して有名ではないけれど、アットホームな清潔感のある結婚式場。新婦は13時からの挙式にあわせて、9時半に会場に入りだが、新郎は遅くても平気というセオリーを無視して同時刻に会場入りさせた。というか、車をお願いしたんですよ。

 仲人は、松井課長にお願いした。他にもっとお偉い人がいるだろうと気遣っていただいたが、結局は二つ返事で受け入れてくださって、――驚いて、いたけれど――とても感謝している。

 時計が11時を指した。控え室にも、ホールにある時計の音が響く。

「銘子、準備できた?」

「うん、できた」

 燕尾服の、今日からの旦那さんが部屋にはいる。もと同じ部署の先輩社員。小林主任――今は係長になったけれど。顔をほころばせてほめられると、この笑顔にいったい何人の女がだまされたのだろうかと思ったりする。自分もその1人か。

 これからは、唯一の人に、なりたいなぁと、淡く、強く思う。

「ご両親は控え室についてるから、挨拶に行こうか。斎木先生も、いらしているみたいだし」

「あれ、今日は授賞式と重なって来れないってきいてたけど?」

「会場近いから、都合ついたみたい」

 この如才ない男は、そういう根回しが得意なんだと、一緒に仕事をして何度思い知らされたことか。

「……ありがとう」

 メイクを終えたばかりで、ヴェールはまだ、かぶっていない。時間にはまだ余裕がある。

 旦那さんに手を引かれながら、親族の待つ部屋へと急いだ。

   

「おねーちゃん、きれー」

 感動して言葉もでない両親に変わって声を出したのは、弟の紡。もう小学校6年生になってしまって、背があまり変わらなくなってしまった。そのわりに顔立ちだけはよく似て、紡は時々女の子に間違えられるそうだ。

 紡の隣に立ち尽くす父は号泣寸前だ。否、白いハンカチを取り出し、目を赤くしているのだから、寸前などと言うレベルではないのかも。

「来てくれてありがとう、紡」

 着慣れていないせいで、うまく動けない。会場の人が椅子を持ってきてくれたので、それに腰掛ける。ドレスも会場の人がさばいてくれた。

 近くにあった紡の手をちょっと握ると、母によく似た相貌でほほえむ。

 おじさんも来てるよ、と紡が後ろを振り返る。

「結婚おめでとう、銘子」

「こーすけ、ほんとにきてたの??」

「せっかく授賞式の前に駆けつけた叔父に対して、その言い方はないだろう」

 今日は大切な授賞式の日だ。映画化など多数のメディアミックス後の新作で、歴史ある文学賞を受賞した。

 まあ、だからなんだけれども。

「その格好、紛らわしいんだけど」

 旦那さんのグレーと色は違うものの、黒の燕尾服。第一礼装だからかぶったのはわかるけれど、どうして式場にそんな格好でくるかなぁ!!

「すぐに時間なんだ、これくらい許してくれ」

 ちらり、と、時計を観る。そんなの、私が一番よく知ってる。

「でも、大変だな。9月からの転勤、急に決まって」

「まさか、出版社勤めで海外勤務になる日が来るとは思いませんでしたよ。でもそのおかげで、銘子の誕生日に合わせて式挙げられたかなと」

 うん、来年の1月に決めてた式場をキャンセルしての、どたばた挙式になりましたけど……それはちょっとうれしかった。式場は選べなかったけど。

「銘子もついて行くんだって?」

「うん、新婚に海外転勤は酷だろうってことで。いったんは退職扱いになるけど、戻ったら復職の融通はしてくれることになった」

「銘子が原稿の取り立てにこないと思うと、気が抜けそうだな」

「ちょっと! 戸隠くん、困らせないでよね! 今月26日の締め切りだって、わかってる?!」

「わかってるって……ここで締め切りとか言わないでよ、花嫁さん」

 ここ1、2年、こーすけにあう度の口癖だったからなあ。振りかえると、懐かしくてびっくりする。

「……そろそろ、本当にまずいんじゃない? お見送りするよ」

 いすから立ち上がろうとすると、こーすけがとめる。

「花嫁さんが式場の出口まで見送りにいったら、会場の係員さんがはらはらするでしょ。しかも、燕尾服の男を」

 笑いのツボに入ったらしい旦那さんが、少し吹き出した後に腹筋と戦いを始める。笑いどころじゃない! 笑いどころじゃないよ旦那!

「だから見送りは、ここで十分。窓からでも、見えるでしょ?」

 そういって指さした窓からは、たしかに会場の正面玄関がうつっている。でもと言いかけた口の動きを察して、それよりも早く、紡が動いた。

「僕が行ってくるよ。だからねえさん、座ってて」

「ありがとな、紡」

「じゃあ、お願いね、紡。……またね、こーすけ」

 椅子に一度座ると、座り直すのが大変なのでなかなか立ち上がれない。それをわかっていても、たって、そばに近寄って、なにか話したいことがあった。

 仕事で、プライベートで、あんなに会っていたのに。生まれる前からずっと、そばにいてくれた人なのに。

 言いたくても言えない一言が、ずーっと、あった。

「どうした、銘子」

 そっと涙を拭われて、はじめてこーすけを気障ったらしいと思ったけれども、当たり前か。もともと私は、スーツ姿のこーすけにかっこいいと思って惚れたクチなのだ。

 それが私の初恋で、ずーっと、忘れきれないままだった。かなうはずもない初恋は、失恋もなくただ在った。

 こーすけの所作にかっこつけすぎと、言い切れた自信のない私は、座ったまま、窓の外を眺めていた。

 部屋から立ち去ったあのひとは、しばらくもせずに式場の門を越えていった。振り返らず、真っ直ぐに背筋を伸ばして。

   

 ――やっと隣に、たてたと思ったのに。

   

 初恋がかなわないと知ってから、それでも彼にとっての何かになりたかった。姪以外の何か、特別な存在になりたかった。やっと、担当編集という名の「ひとり」になれたと思ったのに。

 手に温もりを感じると、旦那さんが手を握ってくれた。このひとのせいじゃない。私が孤独を我慢できなかったせいだ。

   

 けれども振り返ると全てがまぼろしのようで、走馬燈は幻影のように淡い色彩で過去の出来事を映していく。

   

 ――なぜ、すべてを美しい思い出としてしまうのだろう。

   

 初恋の、次第というものは。


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