家族写真の並んだ一角、銀のフォトフレームに花嫁姿の写真が異彩を放つ。
フォトフレーム自体は、俺の兄、啓介の銀婚式でプレゼントしたものと同一だ。女の同一所有を好む思考は理解できないと顔をしかめながら、返すのも、ものだけに縁起が悪く、だらだらとかざっている。
似ているなぁ、と思う。もっとも、本物はこんな、ウェディングドレスなぞは着ないままに新婚生活、育児生活に突入したわけだが。
当人は、きっと知らなかっただろう。兄だって、気づいていたかどうか。
俺の初恋は、ありきたりに、近所にすむお姉さんで、物語のように劇的に、兄の妻になった人だった。
今となっては初恋だけが明確で、ほかの恋愛は、どこかうつろになっている。
はす向かいに加納さんというお宅があった。母親同士が地縁のある元同級生で、なにかと面倒を見てもらっていた。
共働きで両親とも家庭を顧みない人だったので、加納さんのところのお母さんには両手では足りないほどお世話になった。週のほとんどタッパーでくるおかずがいい例だ。
「浩介君、おかず持ってきたよー」
一人娘の美代子さんが持ってくる当番だ。もっとも、美代子さんには別に目当てがあってのことで、母親同士のメールのやりとりで我が家の生活状況が明白らしく、はずしたことはなかった。
「いつもありがと、美代子ねーちゃん」
「啓介君は?」
「にいちゃんは学校。ソツロンの追い込みだって」
「んー、そっか」
「残念だったね」
「こーすけくん!!」
私と兄は12離れた兄弟で、その真ん中に美代子さんがいた。ほとんど姉同然の人で、子供に振り向かない両親に変わって、よく俺の面倒を見てくれた。……目的は別に、兄という存在があったわけだが。
美代子さんが高校生になると、週に1回は我が家で手料理をふるまってくれた。昼食は学食ですませられても、夕飯はコンビニですませることもある俺ら兄弟のお袋の味は、美代子さんの手料理となるのに時間はかからなかった。
それ以前、手料理という手料理は美代子さんのお母さんのものがほとんどだったわけだから、もともとそんな関係だった。
「私もやっぱり、圭介くんと同じ大学にしようかな。」
「美代子ねーちゃん、そういって今の高校は言ったけど、結局一緒に通えないジャン」
俺と美代子ねーちゃんもそうなんだけど。
「そんな下心はみじんもないってば! ただ、あそこなら家から近いし、学費も安いし、ええっと……」
顔を赤くしながら美代子さんが話すのは珍しくない。兄の話題になると、いつもこうだ。だから、気づくと俺に兄の話をきかなくなって不思議にも思っていた。
「応援してるよ。がんばれ」
「うんっ。ほんと、こーすけくん、だんだんけーすけくんに似てきたね。今の言い方、そっくり」
顔が似ているとはいえない俺たちを、美代子ねーちゃんはよくそういった。
そんな状況だったから、人知れず、思えば、自分の自覚すら疎いまま、あの日を迎えた。
「父さん? 母さん? 二人、いるの?」
珍しくたたきに二人の靴がそろっているのをみた。たぶん、3ヶ月ぶりぐらいだ。そろそろ中学生になるからときうのを合い言葉に、六年生になった頃から家に帰らない日すら増えていた。
それにあわせて、美代子ねーちゃんのくつがあるのが当たり前になっていたので、それは不思議に思わなかった。
リビングに入ると、神妙な顔の兄、父、母、美代子ねーちゃんがいた。
「四人とも、神妙な顔してどうしたの……?」
子供ながらに異様な雰囲気とはわかって、訪ねた自分が馬鹿みたいに思えた。美代子ねーちゃんが察して、俺と一緒に家の外にでて、近くの公園まで行ってくれた。
「美代子ねーちゃん怒られたの?」
「そうねぇ、怒られちゃった」
「受験勉強で忙しいの、おれ、わかってるから……あんまし、無理しないで」
「あー、受験か、受験、……うん、受験はできないかな」
どうしたんだろう、歯切れがよくない回答だった。いぶかしんでいると、美代子ねーちゃんはいった。
「……けーすけくんと一緒の、赤ちゃんができたから、受験はできないかな。こーすけくん、おじさんになっちゃうんだよ?」
すこしの苦笑いとともに言われて、――思えばこの告白が、俺の決定的な失恋だったのだ。
そうして、親の大反対の元、銘子は産まれた。
兄は周りが驚くほどに大学時代の貯金があり、二人の暮らしはつつましくも、ささやかに、はじまった。
兄の結婚を期に両親は離婚、俺の親権は父親になったが、父は早々に再婚し、再婚相手は俺の存在を疎んじた。……すでに3歳になっていた自分の子供のために。
父は、金なら出すが義務教育中の育児放棄はできないと抜かす。
結果、逃げ場所のようによくいった。――兄のところ、美代子さんのいる家。兄に申し訳ないといったら、一泊する度に親に一万もらっているから遠慮はいらないと宣言された。あくびれずに堂々というので、そんなものかと思っていたが、今から考えればだいぶおかしい。
家族の絆が金か! みたいな。
美代子さんは幸いにして、おなかが目立たなかったので、高校を無事に卒業できた。けれども進学はあきらめ、専業主婦になった。
俺を毎日笑顔で迎えてくれた。そうしてこれが、俺にはなかった家庭というものなんだろうと、知ることができた。
その年の8月。銘子が産まれる。
女の子とわかってからずっと決めていたらしい。出生届は何日と待たずに役所に届けられ、受理された。
美代子さんが退院してからと言うもの、銘子の世話が俺の仕事だった気がする。銘子の夜泣きにつきあったこともある。――だからもう、親みたいなものだと思っていたのだ。
日に日に、初恋の人に似るにつれ、複雑な思いを幾度となく去来させながらも、それは自分の手に転がることなく、自分の道を歩んでいった。
きっと初恋というものは、こういうものなんだろう。
銀色のフォトフレームの中の花嫁姿が、いつまでもまばゆいように。