俺と営業

 薄明るい室内で、カメラのフラッシュがたかれる。おかしい、おかしいと何度も心の中でつぶやきながら、スポットを一身に受ける。しかもなんだ、この腰の細いスーツ。もぞもぞする、腰より腹筋のあたりが。

 ここ1~2年はちょっと年齢的にやばいと絞ったのできれたものだが、普段なら絶対買わないような代物だ。

 ネクタイをしないのは最近の傾向だから……といえば格好は付くものの、実はネクタイの結び方を俺がわからず、銘子にやってもらっていたところをカメラマンが写真に撮り、赤面した銘子が「こっちのほうがはやりだし!」といったのだ。あれにはうっかり萌えた。

 新妻ごっこと称してあれをした、といっていた担当の顔が浮かぶ。あれはロマンだ、確かにロマンだ。

「ほら、にこっと笑って!」

「できるか! だいたい、作家なんてものは普通、著者近影以外の写真を必要としないものなんだ!」

「なに一昔前の作家像を語ってんの、なう、現代なう」

 カメラマンが無言でシャッターを切る中、担当編集の渡辺さんは苦笑いを浮かべながらドア近くで見守る。いや、脱走できないように見張ってるのか。

 一方、カメラマンばりに指示を飛ばすのが、俺の書いてる小説版元で営業三年目の佐伯銘子……俺の実兄の娘、つまるところの姪だ。ちなみに、斎木というのはペンネームで、本名は同じ佐伯だ。

 普通、出版社で営業といえば書店周りと流通仲介を周るかをしている。こんな撮影現場に居合わせることは珍しい。

 ならば、なぜいるのかといえば、今回俺が連載をしている企画を提出した当の本人であり、こいつでなければ俺をこんな撮影に引っ張り出すのは不可能……と囁かれたためである。

 実際、企画は事前承諾をごり押しされ、撮影は完全に不意打ち、普段着ないようなスーツのなんと窮屈なことか。

   

 たしかに、こいつがいなければ……と思う、切実に。しかも現代なうってなんだ、なうって。

   

 銘子は今年で25歳になる。社会人3年目だ。

 就職にあたってはいろいろあったが、なんとか充実した社会人生活を送っているようだ。つい最近、実家を独立し、父親である俺の兄から近況の催促がうるさい。

 いつまでも家を出ると俺の家にいるという認識でいるのが腹立たしいが、最近我が家にきたのは企画をゴリ押ししにきた時ぐらいなもので、就職してからこの方、お互いに職場、仕事上での面識の方が増えたものだ。

 ただ、兄としては盆と正月もどうにかすると戻らないことにしびれをきらし、距離的な問題がないだけに、気になるらしい。

 いつまで経っても兄の中で我が家が娘の家出先認定を受けたままでいることに異論を唱えてみたくはなるものの、オヤゴコロのもとにあれこれ言われてしまうと何も言えない。ここら辺はかなしき独身の定めだ。

 別に子供は銘子だけではないんだがなと独りごちていると、その物憂げなカンジ、維持で! と指示を飛ばされる。なんだかなあ……

 一人暮らしをはじめた理由を、「紡も小学生になって、部屋が必要でしょ」とそれらしい理由をあげたが、父親は大反対したのだ。

 息子が生まれても娘を溺愛する父親から親離れするには、たしかにいいタイミングだったのかもしれないと、俺なんかは密かに応援しているわけだが。

「うんっ、おっけーでーす! ばっちし!」

 ゴリ押しされたというか、完全に弱みだよなぁと、最近は思ってしまう。

   

「あー、肩凝った……」

 なれないスーツからいつもの格好に着替えた時の、この安堵感の正体はなんなんだ……ひとりごちていると、銘子がやってきて、いつもの笑顔とペットボトルを振りまいた。

「こー……先生、お疲れ様ですっ! お忙しいなか、ありがとうございました。申し訳ないんですが、これから私、次の仕事があるので……」

「ああ、気にしないから、渡辺さんもいるしね」

 フォローはこれ1本かとホットのお茶ボトルに目をやりつつ、手を振って見送る。渡辺さんとは撮影が終わったら打ち合わせでもと約束していた。次回作の話かと思いきや、別になんか打診があるらしい。まあ、写真撮影的なものでないのは確実だ。

 渡辺さんは俺の性格を熟知しており、今回のような企画が営業から提出されても、たいがい聞く前にはじいてくれる。デビュー直後と10周年ぐらいになるとさすがに断らずに回してくるが、たいてい顔写真はご遠慮いただいていた。

 サイン会だって、よっぽどでなければやりたくない。人前、コワイ。つくづく、一般企業に就職せずにこの職にいられたのは幸運だと思う。就職活動で拾ってくれなかった、人事の人、ありがとうございます。

 銘子がスタジオの出しなにカメラマンに呼び止められ、あれこれと話している。打ち合わせとかだろうなぁと思いつつ、倦怠感でイマイチ思考が乗り切らない。

「撮影、終わった?」

「渡辺さん、なに見張ってたんですか」

 銘子と共謀で俺をここに連れてきた担当編集の登場に、八つ当たり半分で話す。

「いやー、笑ったらお前に悪いと思ってさ、あれ以上近づけなかった」

 普段使っているメガネを剥奪された俺は両目視力をあわせて0.1にもならなかったはずだが、それをつっこむ気力すらない。

「銘子ちゃんも大変だね~。あのカメラマン、一度ナンパするとしつこいって評判だよ? かわそうと必死必死」

「えっ、ちょっ、渡辺さん?!」

「まー、業界で生きていくにはあの程度交わせないとね。携帯さえ出さなきゃ平気だから、大丈夫だよ、パパ」

「パパじゃない!」

 振り絞ったように出した声は予想外に大きく、狭く無いスタジオに響いた。勢いで立ち上がった俺に、驚いたように銘子がこちらを見、つられるようにカメラマンもこちらを向く。

 渡辺さんはにやにやと笑みを浮かべるばかりで、助け舟なんて出す雰囲気もない。退路が塞がれた気分で、渡辺さんが持っていた自分のカバンを奪い取り、銘子に近づく。

「せん、せ……?」

「次、どこ回るんだ?」

「あ、えっと本社で会議があって……」

「じゃ、渡辺さんと一緒に帰りなさい。おれは1人で帰れるから」

「斎木先生、1人で大丈夫ですか?」

 撮影中のあの態度はなんだったんだ。オンオフ、完全に切り分けやがって。

「子供じゃないんだし、佐伯さんに心配してもらう義理はないよ、大丈夫」

 ぽん、と肩を叩いて、その場をあとにする。外気にさらされた頬を風がなぜ、一斉に襲う嫌悪感をどうにか胸中におさめる。

   

 銘子はおれの、姪だ。

   

 そんなことをいまの銘子には言えなくなった。ペンネームで俺を呼び、先生と呼び、……ほんとうに仕事のない時だけ、こーすけと呼ぶ。

   

 あの人は、俺のこと、呼び捨てにしなかったよなぁ。

   

 初恋の人を浮かべて、けれども時と共に薄れて、胸の底にあるのは、恋情より思いを寄せた自分に対する懐かしさばかりで。

「銘子は俺の、姪です……か」

 年を重ねるほど、言葉が重くなることにいやになる。


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