小説についてのスタンス(展開etc)

個人的な信条とか考えとか

作品について、「ハッピーエンド」か、「アンハッピーエンド」かは、読者の方にお任せする、というスタンスを取っています。死にネタがあろうとなかろうと、「ハッピーエンド」か「アンハッピーエンド」かは、その時々によって変わると思います。

ぶっちゃけたところ、最終的に人間みんな死んでしまうものですから。私は小説を、「人生すべてを書ききる」ものでなく、「他人の人生の一部分を楽しんでもらう」ものだと思っています。

登場人物たちの生活の一部分を、私は文章にしただけで、「その前」だって「その後」だってあります。でも考えたうちの「8割」までしか書かない、と決めています。残り2割は、読者の方の余地です。煮るなり焼くなり好きにしてください(笑)

どうしてこんなスタンスなのか? というと、夏目漱石先生の『こころ』の影響が強いです。その後私はどうなったのか? 先生は本当に自殺したのか? 奥さんはどうなったのか? 人によると、漱石は「私と奥さんが結婚するところ」まで書いたといわれています。(まぁうそだと思いますけど)でもそこまで公開すると楽しみがないから、途中で止まっている――と。

私は『こころ』の続きを二次創作した人間です。そうした楽しみのほうが、「読むだけ」「感想を書く」よりももっと、高度な楽しみ方のような気がします。

押し付けだとは思いますが、そうした理由で、ラストは中途半端なものが多いです(笑)

幸せか? 不幸せか? ――それは正直なところ、「受け止め方です」とお答えします。

同じ状況でもそれを「幸せ」と感じる人もいれば「不幸」と感じる人もいます。小説の解釈もそれと一緒だと思います。私の中では精一杯の「幸せ」な終わりも、他の人からしてみれば「不幸」かもしれません。

だから、「これはハッピーエンドですよ」と表示することもできません。申し訳ないのですが、「絶対幸せな終わりがいい!」という方には、向いていないサイトかなーと思います。

ただここで一つ、ネットの片隅で叫びたいことが。

絶対的な幸せって、ないと思います。

誰から見ても、100人中100人が幸せだと思う幸せはないと思います。そんな哲学めいたものをエンターテイメントに持ち込むことの是非は人それぞれだと思います。私の作品については、持ち込むほうを是としたい。

以上、ささやかな主張でした。


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